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五十年をかえりみて
ごじゅうねんをかえりみて
作品ID47113
著者宮城 道雄
文字遣い新字新仮名
底本 「心の調べ」 河出書房新社
2006(平成18)年8月30日
初出「宮城會々報」1954(昭和29)年7月
入力者貝波明美
校正者noriko saito
公開 / 更新2008-01-26 / 2014-09-21
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 この度の音楽生活五十年記念演奏会に際し、皆様に御支援を戴いたことを心から感謝いたします。
 私は九歳の年の六月一日に箏を習い始めてから、今年が還暦祝などというと、自分でじじくさく感じて心細くもある。しかしこの年を機会に若返っていよいよ勉強したいと思うので、こんどの演奏会を催したのである。
 五十年といえば大変長いようであるが、自分ではもう五十年過ぎたのかなと思う位である。私は箏を中心に音楽生活をしているおかげで人生は明るい。しかしその反面には苦難があった。
 私の父は、貧乏でありながら気前もよかった。自分が困っていても、人にはそれを見せず、おしげもなくふるまった。したがって、お金はあるだけ使うというたちであった。
 父をほめるようでおかしいが、学校は中学を出た位であったが知識は広く、何を尋ねても、何をやらせても人並優れていたらしいが、いわゆる器用貧乏というもので、大した成功はしなかった。それどころか、事業に失敗して朝鮮に渡り、朝鮮で賊に会って重傷を負わされたので、とうとう私が朝鮮へ出かけていって、一家をささえなければならない羽目になった。しかし、まだ年もゆかぬ十四、五歳の私の細腕では、いかにお弟子に箏を教えても、六人暮しの家族を充分に養うことはできなかった。それで父がいつも借金取りの断りを言っているのを聞くのが一番辛かった。しかし、貧乏のせいか気持は家族的であった。
 私がお弟子の家などへ招かれて行って、御馳走が出ると家の者にも食べさせたいなどと思うと、その御馳走がのどを通らなかったことが度々あった。
 私を子供の時から母代わりになって育ててくれたおばあさんが亡くなってから、私は仁川をはなれて京城のある箏のお弟子先で、箏を教えながら居候のようなことをしていたので、自然、父とは別れることになった。
 ある冬の日に、私は人力車にのって出稽古に行く途中、朝鮮の寒い風が吹きまくって、寒気が身にひしひしとしみわたった。その時ふと、父のことを想い出して、この寒さにどうしているかと思うと、矢もたてもたまらなくなって、出稽古から帰るとかせぎためた何がしかを早速、父に送ったこともあった。こんなことを書いているとはてしもないが、私は箏を習い始めてからは、つらさも、悲しさも、うれしさも、いずれの時も箏と二人づれであった。箏に向えば希望が湧いて、いかなる心の苦難も解決出来るような気がした。それは箏と永年、苦楽を共にして来た今でも同じ気持である。
 私が、兵庫の中島[#挿絵][#挿絵]に入門した時は、奥さんが私を抱きかかえるようにして玄関へあげてくれた。そこはお寺の玄関のようであった。普通は横の入口から入るのであるが、その日は特に大門を明けて迎えてくれたらしい。手ほどきをして貰った二代目中島[#挿絵][#挿絵]は老先生であった。私はまだ物を見るくせがあったので、かえって糸間違いをし…

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