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山の声
やまのこえ
作品ID47118
著者宮城 道雄
文字遣い新字新仮名
底本 「心の調べ」 河出書房新社
2006(平成18)年8月30日
初出「水の変態」1956(昭和31)年8月1日
入力者貝波明美
校正者小林繁雄
公開 / 更新2007-09-22 / 2014-09-21
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私が失明をするに至った遠因ともいうべきものは、私が生れて二百日程たってから、少し目が悪かったことである。しかし、それから一度よくなって、七歳の頃までは、まだ見えていたのであるが、それから段々わるくなって、九歳ぐらいには殆ど見えなくなってしまった。それで、私が、今でも作曲する時には、その頃に私が見ていた、山とか月とか花とか、また、海とか川とかいうものの姿が、浮かんで来る。
 こういうわけで、自然の色も何も見たことがない、本当の生れつきからの盲人にくらべると、私はその点では、恵まれているといわなければならぬ。
 それにしても、私は子供の時に失明したので、私の心を慰めてくれるのは、音楽とか、或は春夏秋冬の音によって、四季の移り変りを知る他にはなかった。それで、音楽でも私は自然のものが非常に好きであった。
 このような関係で、私は音楽の道に入ったが、作曲をするようになった動機というものは、私の父は十二三歳の頃、私と私の祖母と二人を残して、朝鮮に行ったのである。ところが、あちらで父は獰猛な暴徒に襲われて、重傷をおわされたために、私の学資を送って来なくなった。
 私はその頃、二代目中島[#挿絵][#挿絵]に就いて、箏を勉強していたが、父からの送金が絶えたので、師匠が教えているお弟子の、下習えというものをして学費を得ていた。私はこうして謝礼を貰って、一種の苦学みたいなことをしていたのである。
 私の師匠は教えることに、非常に厳しくて、弟子が一度教わったことを忘れるということはない。一度教えたことを忘れたら、二度と教えてはやらないという風であった。しかし、やはり子供であるから、一度教わっただけでは忘れることがあった。或る日、私が教えて貰った曲を忘れたので、師匠が怒って、思い出すまでは、家に帰らさんといって、夜になっても帰して貰えなかった。そうして、こういう時には、思い出すまでは、食事をさせられないのである。こういう厳しいお稽古を受けたのであった。これは今から考えると、大変野蛮なことのように思われるが、私はお腹がすいた時が、一番頭がはっきりする。従ってお腹のすいた時程、考えがまとまるのである。今でも何か考え事をする時は、余り沢山食べないように加減している。
 これからまた、冬には、寒稽古といって、千遍弾きということをやる。それは同じ曲を何日もかかって弾くのである。昔の人は万遍弾きといって、お宮のお堂に立て籠って徹夜で弾く。眠くなると、箏を弾いている姿勢のままで、うつむいて寝てしまい、目が醒めるとまた、弾き出すのである。こういう風に、昔の人は私たちよりも、まだ一層厳しい稽古をしたのである。
 私は十四歳の時に、父から呼ばれて朝鮮へ渡った。私が朝鮮に行ってからは、誰も教わる先生がなかったので、私は毎日、自分の師匠から習った曲ばかりを弾いていたが、しかし、それだけではどうも私には…

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