えあ草紙・青空図書館 - 作品カード
楽天Kobo表紙検索
私のすきな人
わたしのすきなひと |
|
作品ID | 47119 |
---|---|
著者 | 宮城 道雄 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「心の調べ」 河出書房新社 2006(平成18)年8月30日 |
初出 | 「古巣の梅」1949(昭和24)年10月5日 |
入力者 | 貝波明美 |
校正者 | noriko saito |
公開 / 更新 | 2008-01-30 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 3 ページ(500字/頁で計算) |
広告
広告
私のすきな人はたくさんあるので、みな書くことは出来ないが、最近倒れた印度のガンジー翁などはすきである。ラジオや新聞によると、ガンジーは、いつもヤギの乳や、ナツメの実ばかり食べて生活していたとか、それに何か願いごとがあると、よく断食をやったが、その時は、むろんこのヤギの乳も、ナツメの実も食べなかったのであろう。
私は子供の時に気に入らないことがあると、怒って御飯を食べないことがよくあった。しまいには、みな愛想をつかして、相手になってくれなかった。ところがガンジーが食事をしないと、世界中の人が注目する。これは信仰のため、世のために行われるからであるが、私は子供の時に、自分がやったつまらないことと比べて、考えてみたことがあった。
ガンジーは、自分をピストルで射った相手をもうらまずに、助けてやるようにと言われたそうである。ガンジーのお葬式の日には、何十万という民衆が、地方から集って来て、ガンジー夫人が、棺へ火をつけて、炎が燃え上った時には、人々が声をあげて、花束を投げこんだというニュースを聞いて、私は広い川のほとりの、この光景を想像して、何か詩のような感じがした。私はずっと以前から、何かしらガンジー翁がすきであった。
私のすきなお友達の中で、内田百間先生は、随筆で有名な人であるが、手紙をちょっとよこしても、なんでもないことが書いてあるようでいて、それを読んでいると、どことなく面白いのである。
百間先生は箏がすきで、中学時代に、自転車で箏を習いにいったそうである。前のころであったが、まるでスポーツでもやるような気分で、夏の暑い時など、肌ぬぎで汗を流しながら、箏をジャンジャン練習していた。そして、ロシヤ文学の米川正夫先生と、箏の合奏をするのを、試合をやろうやろうと言っておった。また若いころ百間先生は法政大学の先生をしていたが、夜おそく、私の寝ている二階の雨戸をステッキでゴツゴツ叩くのである。私が驚いて戸を開けると、もういない。
またある朝、家の者が起きてみると、家の前にあったごみためが、遠くの方へ持っていってあったり、私の箏を教えるという看板が、他所の所へかけてあったりした。
百間先生が夜おそく通りがかりに、いたずらをしたことがわかったので家の者がくやしがって、今度やって来ても、何も知らぬ顔をしていようと、みなで申し合わせた。はたして先生がやって来たが、みな知らぬふりをした。あまりみなが知らなそうなので、とうとうしびれをきらして、今朝何も変わったことはなかったかとたずねたので、みながいいえ別に、と言ってしらばっくれていると、百間先生、ふしぎそうにしていた。
百間先生は、よく私を散歩につれていったり、御馳走を食べにつれていってくれたりした。そしてその合間にドイツ語のことや、文学方面やいろいろなことを教えてくれた。
私は目が見えないので、声を聞いてその人…