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二笑亭綺譚
にしょうていきたん
作品ID47163
副題04 あとがき
04 あとがき
著者式場 隆三郎
文字遣い新字新仮名
底本 「二笑亭綺譚 ――50年目の再訪記」 求龍堂
1989(平成元)年12月25日
初出「決定版・二笑亭綺譚」今野書房、1965(昭和40)年
入力者華猫
校正者Juki
公開 / 更新2018-03-21 / 2018-03-21
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私の『二笑亭綺譚』の初版は昭和十四年(一九三九)昭森社から出た。好評でたびたび版を重ねて、特製、A版、B版、C版(学生版)の四種がでている。しかし資料の写真その他が戦災でやけてしまったので、戦後の復元は困難であった。そこで私は、この機会に写真の挿絵をやめてすべて絵でゆこうという計画をたてた。幸に建設社が豪華本の出版をひきうけたので、私は木村荘八氏に挿画と装幀いっさいをたのんだ。荘八さんは旧版本を一読し、喜んでひきうけてくれた。ところが二笑亭の因縁といおうか、珍事がおきた。その打合せに、神楽坂のある料亭に出版社の坂上新一郎君と荘八さんと私の三人であつまった。戦後日が浅く当時はまだ占領下の食糧統制時代で、料飲食店はこっそりやみをやっているころだった。私たち三人が酒ものまずに食事しながら静かに打合せているところへ、見知らぬ男が入ってきた。取締の私服警官と名のって吸物のふたをとってしらべたりするが、初めは悪戯だと思っていたが、それは本物の刑事だった。そこであわてた私たちはひたすらわびたが、許されず翌日三人は神楽坂署へよばれ、始末書をとられてやっと許された。今になれば笑い話だが、荘八さんも私も警察での始末書は初めて書くので二人で顔を見合せて苦笑したものだった。しかし、二笑亭の仕事はどんどん進み、荘八さんは油絵を入れたたくさんの見事な絵をかいてくれた。それが完成したころ出版社が怪しくなって、この本は中止となり、やがて日比谷出版社にひきつがれた。とりあえず雑誌にのせようということになり、その重要な部分をえらび「文芸読物」(今の「オール読物」)の昭和二十五年一月号の巻頭に総色刷で発表し、好評だった。まだ紙や印刷の不自由な時代だったので、もう少し事情がよくなったら立派な本にして出そうということになっていた。その後、昭和二十七年(一九五二)に私は欧米の旅行に出た。半年の留守中に弟の俊三の手で私の書庫や書斎の整理がやられ、荘八さんの二笑亭資料は他のものといっしょに重要保存の行李へおさめられた。それがどこへいったことか、出てこない。
 昭和三十一年(一九五六)に、三笠書房から新書版の『二笑亭綺譚』が出た。これは二笑亭の他に私の芸術病理学的の論文、研究、随筆を収めたものだった。こえて昭和三十三年に、浦和の芋小屋山房が豆本百種の第二冊として袖珍本の二笑亭を出した。これは主人公が足袋商だったのにちなんで、装幀を紺の木綿にして、足袋の爪で帙をとめるようなスタイルにしたものである。
 こえて昭和三十六年(一九六一)に、日本書房の『現代知性全集』の第四十九巻に『式場隆三郎集』が出た。その中に、二笑亭が収録された。
 私はいつか荘八さんの挿絵をしまった行李がみつかって、二笑亭の決定版の出るのをたのしく空想していた。しかし、その行李はその後いくら探しても、いまだにみつからない。荘八さんがメモにつ…

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