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かもじの美術家
かもじのびじゅつか |
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作品ID | 47205 |
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副題 | ――墓のうえの物語―― ――はかのうえのものがたり―― |
著者 | レスコーフ ニコライ・セミョーノヴィチ Ⓦ |
翻訳者 | 神西 清 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「真珠の首飾り 他二篇」 岩波文庫、岩波書店 1951(昭和26)年2月10日 |
入力者 | oterudon |
校正者 | 伊藤時也 |
公開 / 更新 | 2009-08-09 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 53 ページ(500字/頁で計算) |
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一八六一年二月十九日なる農奴解放
の佳き日の聖なる記念に
[#改ページ]
かれらの魂は至福のうちに休らう。
――埋葬の歌――
[#挿絵]
わが国で「美術家」といえば、まずきまって画家や彫刻家のことで、それもアカデミーからこの称号を認可された連中にかぎるというのが、通り相場になっている。ほかの手合いは、てんで美術家あつかいにされないのだ。サージコフやオフチンニコフのような名工でも、多くの人の目には単なる「銀細工師」にすぎない。ところが、よその国になると話がちがう。ハイネの囘想記のなかには、「美術家であり」「一家の見を具えて」いた仕立屋のことが出てくるし、ヴォルトの手がけた婦人服は、今日なお「美術品」として通っているのである。そのうちの一着の如きはつい最近も、「無辺無量の幻想が胴の一点に凝っている」と評してあった。
アメリカになると、美術の領域は更に一そう広く解されている。有名なアメリカの作家ブレット・ハートの物語るところによると、あちらでは「死人に化粧をする」「美術家」がいて、たいそうな人気だったそうである。その男は、亡者の顔に色々さまざまな「慰めある表情」をあたえて、その飛び去った魂の幸福な状態の多寡深浅を、あらわすことに妙を得ていたのだ。
この化粧法には幾つかの等級があったが、わたしは次の三つを覚えている。(一)安楽。(二)高められし観想。(三)神とじかに物語る至福。この美術家の名声は、その絶妙な伎倆にふさったもので、つまり大した評判だったわけだが、気の毒なことにこの美術家は、芸術的創作の自由を尊重しない粗野な群衆の犠牲になって、身をほろぼしてしまった。石責めにあって殺されたのだったが、それというのも彼が、町じゅうの人の膏血をしぼり上げたイカサマ銀行家の死顔に、「神と物語る至福の表情」を与えたからであった。そのイカサマ師のおかげで幸福になった遺族たちは、そんな註文を出して故人への感謝の念をあらわそうとしたのだが、その註文の芸術的執行人にとっては、それが死に値いしたというわけである。……
これと全く同じ非凡な芸術家の部類にぞくする名人が、実はわがロシヤにもいた。
[#挿絵]
わたしの弟の乳母をしていたのは、脊の高い、しなびた、それでいて頗る姿のいい婆さんで、リュボーフィ・オニーシモヴナという名前だった。この婆さんはもと、カミョンスキイ伯爵の持物だった旧オリョール劇場の女優をしていた女で、わたしがこれから話そうという一部始終は、おなじくオリョールの町で、わたしの少年時代に起ったことなのである。
弟はわたしより七つ年下だ。したがって弟が二歳で、リュボーフィ・オニーシモヴナの手に抱かれていた頃、わたしはもう満九歳ほどになっていたので、してもらう話がすらすら呑みこめたわけである。
その頃のリュボーフィ・オニーシモヴナは…