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水に沈むロメオとユリヤ
みずにしずむロメオとユリヤ
作品ID47225
著者神西 清
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本幻想文学集成19 神西清」 国書刊行会
1993(平成5)年5月20日
初出「文学」1930(昭和5)年3月
入力者門田裕志
校正者Juki、小林繁雄、川山隆
公開 / 更新2008-01-18 / 2014-09-21
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

弗羅曼の娘、近つ代の栄えのひとつ、
弗羅曼の昔ながらに仇気ない……(オノレ・ド・バルザック)

 黄昏の街が懶く横たはつたまま、そつと伸びあがつて自分の溝渠に水鏡した。――この様な句を読むとすると、嘗てロデンバックの短篇集を繙いたことのある人ならきつとあの廃都ブリュジュの夕暮を思ひ描くに相違ない。そして彼等は聴くであらう、同時に近くから遠くから涌き起る洞ろな鐘のひびきを、続いて無数の黄ばんだ祈りの声を。のみならず、たとへば私なら、もつと先を想像することが出来る。――そんな夜更け、ゴチック風の表飾りのある旅館の湿気た寝台のうへには、滅びた恋の野辺の送りをするために、屍灰さながらの味ひを互の唇のうへになほも吸ひ合ふ恋人たちの横たはつてゐるのを。……何といふ頽廃、何といふ無気力と人は言ふであらう。然り、私もそれは知つてゐる。けれど、私たちが如何様に自分の住む此の近代の都市を誇称しようとも、そして昼夜のあらゆる時を通じて其処に渦巻くどんな悪徳や鋭ぎ澄ました思想によつて昂奮し偽瞞されてゐようとも、やはり私たちの都市の疲れてゐることは事実である。そして嘗ては或る役所の吏として夕暮から夜更けの川筋を巡邏の軽舟に揺られて行つたことのある私にとつては、私が此の物語を始めた句はさほど私たちの都市東京にそぐはないものとも思へない。
 東京を流れる六十九筋の溝渠や川の底から一年のあひだに浚渫される泥土の量が二万立方坪にも近いといふ事実は大して人々を驚かすものではない。それは年老いた此の都市から泌み出る老廃物のごく小量の分け前にしか過ぎないのだから。これらの疲労した川筋を通して一年に七千四百万貫の塵芥を吹き、六十万石の糞尿を棄て、さらに八億立方尺にも余る汚水を吐き出す此の巨大な怪獣の皮腺から漏れる垢脂に過ぎないのだから。……のみならず、この夥しい排泄物の腐れた臭ひに半ばは埋れて一万二千の小舟が動き廻り、三万余りの男女がその中に「生きて」ゐるのを私たちは知つてゐる。私たちが殆ど忘れたままでゐる自分の蹠よりももつと低いところに。そして黄昏が消えると街は彼女の鏡を力無く取り落すのである。街と川とは別々に、秘密に満ちた夜闇に陥つて行くのである。

 大正十二年の罹災によつて一時はその数を三分の一にも減じた水上生活者の群が、いつとは知れず再び元通りの数に近づかうとしてゐた頃の或る夏近くのことであるが、ステラと名づけられた一隻の真白な快走船が隅田川の下流を中心にある仕事に従ふ様になつて、その際だつた姿態によつて他の舟々の眼を惹いてゐた。ステラが「仲間」の眼を惹いたのはしかしその船体によつてだけではなく、その名のとほり「星」のやうな船長の一人娘の耀きによつてでもあつた。肉づきのいい大柄な此の娘は真白なセイラーの裳を川風にひるがへして、甲板に立つて舵を操つた。彼女は花子と呼ばれた。そして偶然の導きに…

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