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夜の鳥
よるのとり |
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作品ID | 47227 |
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著者 | 神西 清 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「日本幻想文学集成19 神西清」 国書刊行会 1993(平成5)年5月20日 |
初出 | 「文学界」1949(昭和24)年8月 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | Juki、小林繁雄、川山隆 |
公開 / 更新 | 2008-01-12 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 31 ページ(500字/頁で計算) |
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去年の夏のことだ。
H君夫妻が、終戦後はじめて軽井沢の別荘びらきをするといふので、われわれ旧友二三人が招かれたことがある。そのなかに、久しぶりでわれわれの前に姿をあらはしたG君もゐた。これは思ひがけなかつた。
われわれ仲間といふのは、ほんの高等学校の頃に同室だつただけの関係なのだが、そんな漠然とした若い時代の友情が、めいめい別れ別れに大学へ進んでからも、やがて社会へ出てからも、案外そこなはれずに続いてゐたのである。
同勢は六人ほどで、文科系統が多かつたけれども、G君は工科だつた。もう一人、魏さんといふ山東出身の留学生がゐて、これは医科だつた。のつぽといつていいくらゐ背の高い男で、とつつきの悪い不愛想なところがあつたが、実は飃々とした楽天家で、案外すみに置けない粋人でもあつた。魏怡春といふ名前が、まさに体をあらはしてゐたわけである。
そんな彼に、われわれはよく甘えたり、罪のない艶聞をからかつたりしたものだ。大学を出ると長崎へ行つて、はじめは医大につとめ、やがて開業した。日本人の細君をもらつたとかいふ噂もあつたが、そのへんから段々消息がぼやけて来て、まもなく戦争になつた。山東へ帰つたらしいと、誰いふとなしにそんな風聞も伝はつたが、確かなところは分らなかつた。もし帰つたとすれば、彼の運命は果してどうなつてゐるだらう。無事で、若白毛がますます霜を加へて、相変らず飃々としてゐるだらうか。……われわれはまづ、そんなことを噂し合つた。
G君は、われわれの仲間では唯一人の山岳部員だつた。かと云つて先頭に立つて賑かに音頭をとるのではなく、むしろ黙々として小人数で沢歩きをするといつた風であつた。一度など、単身で雨あがりのザンザ洞へいどんで、トラヴァスの失敗から人事不省になつたことさへある。まだ沢歩きが今ほどはやらない時分のことだから、木樵り小屋の人がひよつこり水を汲みに降りて来なかつたら、とつくにGは白骨を水に洗はれてゐたに相違ない。……そんな経験のあつたことを、われわれ仲間でさへ余程あとになつて、彼が何首かの歌に歌ひこむまでは、さつぱり知らずにゐた始末だつた。
歌といへば、Gはわれわれの中で唯一人の歌よみでもあつた。当時の風潮にしたがつてアララギ調で、なかでも千樫に私淑してゐたらしいが、ちよいちよい校友会雑誌などに載るその作品は全部が全部自然諷詠で、たえて人事にわたらなかつた。格調がととのひすぎて、つめたく取澄ましてゐるやうな彼の歌風は、学校の短歌会の連中から変に煙たがれてゐたらしい。そこでも彼は孤独だつたのだ。学校の先輩に当る詩人に、Gがわれわれの仲間のSを介して、歌稿の批評をもとめたことがある。その人は詩壇きつての理知派と云はれてゐたが、一流のきらりと光るやうな微笑とともに、
「ああ、この人は鉱物だね」
と評し去つたさうだ。Sは面白がつて、この評語をわれわ…