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大衆文芸問答
たいしゅうぶんげいもんどう
作品ID47258
著者国枝 史郎
文字遣い新字新仮名
底本 「国枝史郎探偵小説全集 全一巻」 作品社
2005(平成17)年9月15日
初出「新小説」1926(大正15)年4月
入力者門田裕志
校正者hitsuji
公開 / 更新2019-08-26 / 2019-07-30
長さの目安約 17 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 問「大衆文芸と純文芸、どこに相違点があるのでしょう?」答「純文芸は叱る文芸、大衆文芸は叱らない文芸。ざっとこんなように別れましょうかね」問「変な云い廻わしじゃありませんか」答「ちっとも変じゃありませんよ。ひとつ簡単に説明しましょう。純文芸の作家連は、こう世間様へ申します。『俺の作は可い作だ。お前達よ、読まなければならない。読まない奴はヤクザ者だ』そういう態度で書かれた物が、世に謂う所の純文芸です。これに反して大衆作家は、世間の要求に応じます。つまり世間の人達の方から、大衆作家に云いかけるのです。『ねえ大衆作家君、僕等の読みたいのは斯ういう物です。こういう物を作って下さい』『はいはい宜敷うございますとも、そういう物を作りましょう』さて其処で作ります。そういう態度で作られたものが、世に謂う所の大衆文芸です」問「どうもハッキリしませんね」答「では語を変えて云いましょう。世間の嗜好を顧慮せずに、書いた物が純文芸で、その反対が大衆文芸です」問「そうは云っても、純文芸の中にも、世間の嗜好を顧慮したものが、随分あるようじゃありませんか」答「それは勿論ありましょうね。要するに程度の問題です」問「世間の嗜好に投じてばかりいるのは、よい事ではありますまい」答「まず嗜好に投ずるのです。それから作者の思う所を、ジワジワと世間へ伝えるのです。――面白可笑しく読ませ乍ら、思う所を伝えるのです」問「純文芸よりも大衆文芸の方が、読者の数は多いでしょうか?」答「ええ何うやら多いようですね。純文芸はルビ無し文芸、大衆文芸はルビ附文芸、これで解るじゃあありませんか」問「また変なことを云い出しましたね」答「ちっとも変じゃあありませんよ。ルビが無いということは、ルビが無くても文章の読める、教養のある人達を、相手にしているということになり、ルビが有るということは、仮名しか読めない人達をも、相手にしているということになります。そうして世間を見渡した所、どうも仮名しか読めないような、そういう人達が沢山あります」
 問「大衆文芸というものは、一体何時頃から始まったんでしょう?」答「それでは貴郎へ反問します。純文芸というものは、一体何時頃から始まったんでしょう?」問「ははあ夫れでは貴郎としては、そういう問題を研究するのは、無駄であり不可能だというのですね」答「まず其辺におちつきましょうかね」
 問「大衆文芸というものは、何時頃から盛んになったんでしょう?」答「是もハッキリとは云えませんね。だが思う所を云ってみましょう。博文館から講談雑誌が出、講談社から講談倶楽部が出た、その頃からじゃないでしょうか」問「しかし其頃は二雑誌共、講談師や落語家の口演速記を、主として載せていたようですよ」答「それは将しくお説通りです。ところが夫れ等の口演物が、筋としては千篇一律、材料から云えば少なかったので、その不足を補うため、大…

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