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日本上古の硬外交
にほんじょうこのこうがいこう |
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作品ID | 47265 |
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著者 | 国枝 史郎 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「国枝史郎歴史小説傑作選」 作品社 2006(平成18)年3月30日 |
初出 | 「外交評論」1942(昭和17)年12月 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 阿和泉拓 |
公開 / 更新 | 2010-12-29 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 8 ページ(500字/頁で計算) |
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一
インドネジアン族、インドチャイニース族の集合であるところの熊襲が大和朝廷にしばしば叛いたのは新羅が背後から使嗾するのであると観破され、「熊襲をお討ちあそばすより先に新羅を御征伐なさいますように」と神功皇后様が仲哀天皇様に御進言あそばされたのは非常な御見識と申上げなければならない。
しかるに御不幸にも仲哀天皇様には、熊襲及び土蜘蛛を御征伐中に御崩御あらせられた。
そこで神功皇后様には御自ら新羅御討伐の壮挙を御決行あそばす御決心をあそばされ、群臣に、
「軍を興し兵を動かすは国の大事にして安危、成敗は繋って焉に在り。今、吾、海を超えて外国を征せんとす。もし事破れて罪爾等に帰せんか、甚だ傷むべし。仍って吾しばらく男装して雄略を起こし、上は神祇の霊を蒙り、下は群臣の助を籍る。事成らば爾等の功なり、事破れば吾の罪なり。」
と仰せられ、大いに船舶を集め、新羅征伐に御発足あそばされた。
この御壮挙には二つの大きな特色がある。その一つは、臣下の将兵のみを新羅討伐におつかわしにならないで、やんごとない皇后様御自ら総帥として御出陣あそばされ「事成らば爾等の功であり、事破れなば吾の罪なり」と、全責任を御自ら御執りあそばされた、その御勇猛心と御仁慈であり、もう一つは、領土蚕食とか物資獲得とかの侵略的意図の新羅討伐ではなく、大日本国の一部であり大和朝廷の治下にある九州の地を騒がし、熊襲族を煽動して反復常なからしむるものが新羅であり、その新羅はとうてい平和の外交手段を以てしてはその邪の行動を抑えることは不可能であるとおぼしめした結果、武力を以って御征しあそばしたということであって、従ってこの新羅御討伐は平和外交の形の変わった硬外交、武力外交であるということが出来るのである。
ところでこの硬外交の結果はどうかというに、新羅王波沙寐錦わが舟師を見て恐怖し、面縛して降を乞い「われ聞く、東方に神国あり、日本というと。われ是を畏懼するや久し。今皇師大挙して征討せらる。いかでか是に抗し奉らん。ねがわくば爾今以後飼部となり、船柁干さずして貢物を納め、また男女の調を奉らん。この誓や神明の前に於てす。東より出ずる日西より出で、北より流るる鴨緑江南より流るるとも反くことあらざるべし」と奏上した。そこで皇后様に於かせられてはその乞いを許し、軍を進めて首都に入り、府庫を封じ、国籍を収め、躬が杖きたまえる矛を王宮の門に立て、占領の証とし、平和条約を結び、毎年金、銀、彩色、綾羅、絹[#挿絵]等を船八十艘に積んで貢物とすべく約した。
戦果は是ばかりでなく、当時朝鮮半島は、新羅、任那、高麗、百済の四つの邦に分かれていたのであったが、その中の最強を以て目せられていた新羅が、このように早く降伏したところから、他の三つの邦も降を乞い、神功皇后様師を興こされて以来僅か三ヶ月で朝鮮半島全部を完全に日本の有に帰…