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妖異むだ言
よういむだごと
作品ID47271
著者国枝 史郎
文字遣い新字新仮名
底本 「国枝史郎探偵小説全集 全一巻」 作品社
2005(平成17)年9月15日
初出「探偵趣味」1928(昭和3)年3月
入力者門田裕志
校正者きゅうり
公開 / 更新2018-10-04 / 2018-09-28
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 幽霊の中で好いものは、牡丹燈籠のお米である。牡丹燈籠を下げて主人を案内して、恋の仲介をするあたりは、人情があって面白い。
 不快な幽霊は小幡小平次で、気の毒な幽霊は小仏小平であろう。
 滑稽な化物は唐傘の一本足で、愛嬌のあるのは一ツ目小僧が、大阪の子供に人気のあるのは、酒を買いに行く豆狸である。
 路傍で見て凄いのは流灌頂。
 妖怪画で面白いのは「百鬼夜行」で、特に光信のそれがよい。狩野芳崖の鷲の「絵」なども、一種の妖怪画と云ってよい。
 美しい幽霊は雪女郎で、泉鏡花さんのお書きになるところの、いろいろの幽霊も美しい。喜多村丈の好む以上に、私も鏡花さんの幽霊を好む。
 姑護女という幽霊には同情される。只何んとなく同情される。
 出ず可くして出でたと思われるのは、佐倉宗五郎の幽霊である。
 根津某の幽霊も宗五郎の幽霊と似たような意味で、その出現は有意味である。
 化物の中での豪傑は、おそらく三本五郎左衛門であろう。天狗の一種だということであるが、衆をひきいて山嶽を渡って、大移動をするのは痛快である。
 菅公を幽霊に化したのは、物語作者の悪趣味である。菅公はすがすがしく保つ可きである。こういう悪趣味の物語作者は、軍神広瀬中佐などをも、やがては幽霊に化かすだろう。
 オスカ・ワイルドの書いた所の「カンタビィルの幽霊」は保守主義者であり貴族主義者である。だからすっかり滑稽化せられた。「クリスマス・カロル」に出る幽霊は、一種の平凡な哲学者である。
 花の妖なるものは曼珠沙華であろう。
 人の妖なるものは、平賀源内で、山師で新智識で不平家で、文学者で俗物で哲学者で、そうして立派な男色家であろう。
 型化された幽霊は、謡曲中の幽霊である。終いには懺悔をし成仏をする。諦めのいい幽霊と言わなければならない。
 妖怪文学での白眉といえば小泉八雲の「轆轤首」であって決して「耳なし法師」では無い。
 巴のはじまりは眉間尺である。図案化された化物と云えよう。
「四谷怪談」で恐ろしいのは、お岩でもなければ小平でも無い。群れて現われる鼠である。
 よき春画には幽霊味があり、よき宝石にも幽鬼味がある。
 何んとなく好きな妖怪といえば、官女姿の刑部明神で、荘重で典雅で色っぽい。
 どんな幽霊でも化物でも、人間の形に則るのは、不思議なようで不思議で無い。幽霊や化物を創造り出した者が、その人間であるのだから。こういう意味から云う時も、人間というものは利己的なものだ。自己により近い存在で無ければ、決して是認しようとしない。
 新幽霊談の創造は、現代人にはむずかしい。と云うのは立派な幽霊談が、過去にあるからと云うのでは無い。過去の幽霊談に心酔し、とらわれ過ぎているからである。
 荒唐無稽を狙っていては、新幽霊談は作れない。尋常な理詰めを心掛けた時に、新幽霊談は創造出来る。
 日本の古典で鬼気のある…

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