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ヒトラーの健全性
ヒトラーのけんぜんせい |
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作品ID | 47273 |
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著者 | 国枝 史郎 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「国枝史郎歴史小説傑作選」 作品社 2006(平成18)年3月30日 |
初出 | 「外交」1940(昭和15)年9月2日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 阿和泉拓 |
公開 / 更新 | 2010-12-29 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 3 ページ(500字/頁で計算) |
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ヒトラーが、未来派の絵画を罵倒した記事を見て、ヒトラーらしいなと思った。
そうしてヒトラーが画家として立ったなら、むしろ穏健な、さりとて古くない、ポストアンプレッショニストとして彩管を揮ったことだろうと思った。
未来派は、表現派や立体派や構成派などと共に、第一次世界戦争中に起こった、極わめて革命的の流派で、其処には絵画としての伝統は、ほとんど片鱗さえ見ることが出来ず、破壊的、急進的、非写実的、畸体の「形」と「色」とが存在するばかりであり、空間中に時間を現わすという、絵画史あって以来はじめて行われたような、大胆というより冒険そのもののようなことさえ試みられている。
それは順を追っての革新ではなくて、マリネッチなどという南欧情熱の子が、天来の芸術的恍惚裡に於て、唐突に、直感的に創造した変質芸術ともいうべきものなのである。
× × ×
さて、ところで、戦争は詩でもなければ芸術でもない。国と国、民族と民族とが、一切の精神と物質とを傾けつくした格闘なのである。最も現実的のたたかいなのである。これに破れたものには死と滅亡とが待っているばかりである。
だから此処には、変質的な、非常識的な、気紛れ的な、空想的な何物の存在も許されない。此処にあるものは、ことごとく二二が四的の合理的なものでなければならず、一見、天来的、破天荒的戦術と見えるものや、一見、超伝統的の新兵器と思われるものがあろうとも、その実は、従来の戦術から順を追って牛歩乃至一歩を進めた戦術であり、矢張り伝統を経て僅にそれを改良した兵器に過ぎないのである。
マジノ線を突破した独逸の戦術も兵器も、一時は、超人間的神業的所業所産のように喧伝されたが、少しく時日を経た今日にあっては、如上の言葉にあてはまる可き、漸進的戦術であったことが、又、伝統から改良した新兵器であったことが明らかにされつつある。
× × ×
ヒトラーは天才だと云われている。
私もそう思う。
彼は政治家としても天才であり外交家としても天才であり戦術家としても天才である。
彼は又芸術家だと云われている。
それは彼の本来の志望が画家であり、青年時代、多少彩管をもてあそんだからであろう。
彼を総統にいただき、今次の欧洲大戦争を惹起した独逸にとって、何より幸福だったことは彼が変質的天才で無く、変質的芸術家で無かったことである。
彼が、未来派絵画を謳歌するていの変質的芸術家であったならば、漸進的戦術と、伝統を改良した新兵器とを用いて、難攻不落と称されたマジノ線を、ああも簡単に、ああも天才的に突破することは出来なかったであろう。
だから彼が画家として立ったなら、印象派から一歩進んだ後期印象派画家として彩管をふるったことであろうと思われる。