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出版の今昔
しゅっぱんのこんじゃく
作品ID47286
著者市島 春城
文字遣い旧字旧仮名
底本 「『冨山房五十年』」 冨山房
1936(昭和11)年10月15日
入力者しだひろし
校正者mt.battie
公開 / 更新2024-04-21 / 2024-04-16
長さの目安約 23 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 版書版本は文化の生んだ華で、昔は或る階級の外見ることが出來なかつたものである。この華の咲かない前の吾等の遠い祖先などは夢にも版本を知らずに墓に入つた。出版が出來てからも地方のものなどは全く知らなかつた時代もある。今は婦女小兒の娯樂用に澤山の繪本があるが、或る時代には貴族の家でも、お伽草子は筆寫のものであつた。平安朝には既に版書が行はれた頃だが、版書は幾んど寺院の摺經に限られてゐた。源氏物語を書いた紫式部などは、石山寺で版經は見たでもあらうが、己れの筆作に係る大部の小説が、後世版刻されようなどとは夢にも期さなかつたであらうと想像されるが、出版が盛んになつた後の世には、幾十囘もこれが板に刻されて教科書ともなり、その注釋、その評論、その拔萃等の末書が幾百に及んでをることを式部を地下に起して見せたらどんなに驚くことであらうか。
 書物が如何に文化に大切であつても、それが衆庶の眼に觸れないでは、文化に餘り裨益する所がない。出版はその傳播の方便であることは、ラヂオが思想の傳播機關であると同樣で、出版を知らない國土には文化は無いとも言ひ得るのである。隨つて日本の出版の歴史は取りも直さず日本の文化史である。その歴史は複雜であるから、簡單に語ることは困難だが、日本の出版は佛教宣傳より其因を發し、その發達も佛教の隆盛に伴ひ、出版の歴史は佛教の歴史と常に纒綿し、長い間出版と云へば佛教の經典に幾んど限られたものであつた。往々佛書以外の書物即ち外典が出版されたけれども、それは佛書出版の餘波に過ぎなかつた時代もある。
 佛教では教義の研究のため又誦讀のために多くの經文を要したが、經文を作ることが佛の供養とされ、亦罪障消滅と云ふ思想からも作られたから、其數は實に夥しいものであるが、それは宗教を弘めるに功があつても、直接一般文化を裨益したのは佛書以外の書物が多く出版されてからで、それは比較的近世の事に屬してゐる。文權は久しく僧侶の手にあつたから、僧侶の爲めに詩文や字書や韻書などは寺から出版されたこともあるけれども、一般※[#「圖」の「回」に代えて「面から一、二画目をとつたもの」、386-11]書が佛典から獨立して出版さるゝに至つたのは、文祿の役に朝鮮の活字を持ち來り、出版界に一生面を開いてからの事である。豐公の征韓は此意味に於て日本文化に偉功があると云ひ得るのである。
 日本の最古の出版は世界最古の出版で、それが矢張り佛典であるが、勅版から端を發してゐるのは面白いことである。則ち聖武帝が[#「聖武帝が」はママ]百萬塔を寺々に納めらるゝに當り、塔内に置く百萬部の四種の陀羅尼を印刷したのが、所謂寳龜版で[#「寳龜版で」はママ]、此時代には世界のどの國にも出版はまだ無かつた。支那の書物には寶龜に少しく先んじて出版があつたと書かれてゐるけれども、其實物が存在しないから、日本が最古出版の誇りを持つ…

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