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糸繰沼
いととりぬま
作品ID47338
著者長谷川 時雨
文字遣い新字新仮名
底本 「文豪怪談傑作選・特別篇 百物語怪談会」 ちくま文庫、筑摩書房
2007(平成19)年7月10日
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2007-12-11 / 2014-09-21
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より




 湖、青森あたりだとききました、越中から出る薬売りが、蓴菜が一ぱい浮いて、まっ蒼に水銹の深い湖のほとりで午寐をしていると、急に水の中へ沈んでゆくような心地がしだしたので、変だと思っていると、何処でか幽かに糸車を廻す音がきこえたともうします。おやと気をつけると、暗いところがほんのり明るくなって、自分は沈みもしなければ浮上りもしないで、水の中にふっと止まっている。向うを見ると、薄っすらと人陰が見えて、糸を繰る音がする。心を定めてよく見直すと、品の好い老女で、糸を繰る手はやめなかったが、振返って薬売りを流し眼に見て「返してやるのではないが、お前に言便次をしてもらいたいから、助けてあげる。」と言って「奥州閉伊郡の中妻の里というところに、こういう家があるからその家へ行って、おばあさんは此処にこうやっていると伝えてくれ。」と頼まれたかと思うと、おばあさんの姿も、糸車の音も消えて、薬売りは人の助けに生返ったのでした。無言っていろと口をかためられたのですから、薬売りは一人で気味悪るがりながら、その家が誠にはないようと祈ったり、そんな馬鹿馬鹿しいことがありようはないと思ったりして、それでも「池の主になっているから、姿をかくしたが安心してくれ。」という伝言をせねば、自分の重い役が一生とれぬ心地もするので、てくてく中妻の里を忘れもせずに商業しながら探ねてあるくと、或日言われた通りの、門構えの家を探ねあてたのでした。薬売りは顫えあがったそうで、兎に角主人にあって、その顛末を語りますと、主人のいわれるには、思い当ることがあるというのです。そのお家は近江源氏佐々木家と共に、奥州へ下向されたという古い家柄で、代々阪上田村麿将軍の旧跡地に、郷神社の神官をしていらっしゃるとかで、当主より幾代か前の時、長く病らって、一間に籠ったまま足腰のきかなかったおばあさんが、ふと陰をかくして、行方知れずになったということがあるというのです。そこで水の底で助けて帰されたことを、薬売りが咄しますと、主人も驚いたには違いありませんが、その御主人の言葉に「毎年秋祭りの前後に、はげしい山おろしが吹荒れると、中妻のおばあさんが来たということを、里の者は何の訳か言いつたえている。春の祭りがすむころ吹くと、おばあさんが帰ったという。」ときいて、薬売りがぞっとしたのは、水の底にいたおばあさんが「私はこんなに遠くにいても、家のことや村のことは守っている。」と言ったのを覚えていたからなのでした。なんでもこの咄しはさほど古いことではないのでしょう、私はその村で、そのお家と近しくしている方からききました。そのお家の子供衆方の咄しでは、おばあさんの来るという日の夜に限って、山から狐が沢山に下りて、そのお宅の縁側は、土でざらざらになるのと、きっとその日は雨風で暴るということです。



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