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文化史上より見たる日本の数学
ぶんかしじょうよりみたるにっぽんのすうがく |
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作品ID | 47341 |
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著者 | 三上 義夫 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「文化史上より見たる日本の数学」 岩波文庫、岩波書店 1999(平成11)年 4月16日 |
初出 | 「哲学雑誌 第三十七巻第四二一―四二六号」1922(大正11)年3月~8月 |
入力者 | tatsuki |
校正者 | 山本弘子 |
公開 / 更新 | 2010-12-01 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 109 ページ(500字/頁で計算) |
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緒論
日本で数学の発達したのは徳川時代及びそれ以前〔後〕のことであって、上古以来戦国時代の終わりまでは数学に関して幾らも知られたことがなく、また明治大正時代の数学は西洋の学問を宗として起こったもので、未だあまり特色も見えないし、未だこれを歴史的に観察して充分な意見を発表し得るまでに研究が進んでおらぬから、しばらく徳川時代の数学、いわゆる和算なるものを主として論ずることとする。もし数学者の立場で和算を見るならば、如何なる問題、如何なる方法、得た結果等が如何なる時代に如何に変遷したかの由来を明らかにし、これを現今の数学と比較して優劣を定め、もしくは西洋の数学史上の事実に対比する等のことをするだけで満足されるのか知れないけれども、我等は決してこれだけで満足し得るものでない。こんな見地の下における研究ももとより大切であることはいうまでもなく、我等もその研究の完成に向かって過去においてもまた現在においても努力もしているが、我等にとってはこれは目的ではなく、手段なのである。どうしても文化史的立場の上から広い眼界の下に見て行って、社会状態、国民性、ないしは文化一般の発達上に如何なる関係を有するかを見定めなければならぬ。この意味における観察を加うるには、数学者の立場から見た和算の研究が充分に進んで和算の性質を明らかにした上でないと、あるいは観察を誤る恐れがあるが、和算の研究はまだその緒につきかけたばかりであって、今の時に文化史的の研究に手を下すのは未だ早計であるかも知れない。けれどもこの観察を行うことによって数学者としての和算の研究に対して有力なる指導となり、これに方針を与え、かつその研究のはなはだ重要なることを知らしめるものであって、もとより両々相俟って進むことを必要とする。私が多年来和算史の研究に従事しつつこれが準備に幾多の歳月を費やしたのはこれがためである。数学者の眼中から見れば和算は現今の数学に比してすこぶる見劣りのしたものであるから、その研究はさまで重大でないように見えるのも無理からぬことではあるが、文化史的に解するときは決してそんなものではない。和算に対して文化史的の解釈を下すことはそれ自身に、はなはだ趣味ある問題でもあるし、またかくすることによりて将来の発展を期する上に大いなる参考となり得べき当然の性質を有するものであると信ずる。こうして教育上の参考に役立ち得るものともなるのである。数学者の立場からの研究よりは、文化史的の研究の方がはるかに重要な意義を有するのであって、前者は後者の完成を期するための方便に供せられ、これに従属させてしかるべきものである。
本篇においては江戸時代の和算の観察を主眼とするけれども、それ以前及び以後の時代についても、できるならばこれを参照したいのであって、多少これに論及するつもりである。
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本論
一 数学…