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剣侠受難
けんきょうじゅなん |
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作品ID | 47342 |
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著者 | 国枝 史郎 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「剣侠受難(下)」 国枝史郎伝奇文庫、講談社 1976(昭和51)年4月12日 「剣侠受難(上)」 国枝史郎伝奇文庫、講談社 1976(昭和51)年4月12日 |
初出 | 「東京日日新聞」1926(大正15)年5月28日~11月14日 |
入力者 | 阿和泉拓 |
校正者 | 酒井裕二 |
公開 / 更新 | 2020-04-08 / 2020-03-28 |
長さの目安 | 約 398 ページ(500字/頁で計算) |
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この捕り縄は
ポンと右手がふところへはいり、同時に左手がヒョイとあがった。とたんに袖口から一条の捕り縄、スルスルと宙へ流れ出た。それがギリギリと巻きつこうとした時、虚無僧は尺八をさっと振った。パチッと物音を立てたのは、捕り縄がはねられたに相違ない。がその時はその捕り縄、ちゃアんとふところへ手ぐられていた。
東海道の真っ昼間、時は六月孟夏の頃、あんまり熱いので人通りがない。ただ一人の虚無僧と、道中師めいた小男とが、相前後して行くばかりだ。
と同じ事が行われた。つと駆け抜けた道中師、ポンと右手をふところへ入れ、ヒョイと左の手を上げた。その袖口から一条の捕り縄、スルスルと出てキリキリキリ、虚無僧へ巻きつこうとするのであるが、やっぱりいけない。さっと払う尺八につれて、グンニャリとなる。がその時には捕り縄は、袖口からふところへ手ぐられていた。
眼にも止まらぬ早業である。たとえ旅人が通っても、感づくことは出来なかったろう。だがいったいどうしたのだろう? 捕り物にしては緩慢に過ぎ、遊戯にしてはいたずらに過ぎる。
なんの変わったこともなく、虚無僧は悠然と歩いて行く。道中師にも変化はない。
鈴ヶ森まで来た時である。ふいに道中師が横へそれた。後から続いて虚無僧が行く。耕地があって野があって、こんもりした森が立っていた。手拭いを出してバタバタバタ、切り株を払った道中師。
「おかけなすって、一休み」
虚無僧腰かけて天蓋を取った。と、すばらしい美青年。富士額で、細い眉、おんもりとした高い鼻、ちょっと酷薄ではあるまいか? 思い切って薄い大型の口、だが何より特色的なのは、一見黒くよく見ればみどり、キラキラ光るひとみである。手に余るほどの大量の髪、これは文字通り漆黒で、それを無造作にたばねている。肌の白さなめらかさ、青味を帯びないのはどうしたのだろう?
「熱いねえ、ずくずくだよ」
いいながらグイと胸をあけた。あっ! 張り切った二個の乳房、胸もといっぱいにもり上がっている。まさしく変装した女である。
「忠公のばかめ、呆れもしない。なんと思っての悪ふざけだい」
「へい」道中師小びんをかいた。「手練の捕り縄、いかがのものかと、お目にかけたんでございますよ」
「あれで手練かい、叩き落とされたくせに」
「中条流の捕り縄も、あねごにかかっちゃあ文なしだ」
「これは驚いた。中条流だって? そんな流名があるのかい」
「私のつけた流名で」
「よりどころでもあるのかい」
「そりゃアありますとも、大ありで。それ私の名は忠三でげしょう」
「妾ア忠公かと思っていた」
「ひどうげすな。そいつアひでえ、いえ忠三でございます」
「忠的にしよう、その方がいい」
「だんだん悪くなる、驚いたなあ。いえ私の名は忠三で、しかも肩書きは早引でげす」
「早引の忠三、なるほどね、だが大してドスも利かない。ところでどうな…