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生活の探求
せいかつのたんきゅう
作品ID47357
著者島木 健作
文字遣い旧字旧仮名
底本 「島木健作作品集 第二卷」 創元社
1953(昭和28)年6月30日
初出「書きおろし長篇小説叢書 第二巻」河出書房、1937(昭和12)年10月27日発行
入力者Nana ohbe
校正者富田晶子
公開 / 更新2018-08-17 / 2018-09-22
長さの目安約 330 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 今年は春から雨の降ることが少なかつた。
 山林を切り開いて作つた煙草畑まで、一町餘りも下の田の中の井戸から、四斗入りのトタンの水槽を背負つて、傾斜七十度の細い畦道を、日に幾度となく往き還りする老父の駒平の姿はいたいたしい。時には握飯を頬張りながら、葉煙草に水をやつてゐるやうな姿を見ることもある。
 今年大學にはいつた息子の杉野駿介は、病氣が治り、健康がすつかりもとに返つても、なぜか東京へ歸らうとはしなかつた。彼は高等學校から大學に進むとほとんど同時に、まだ新學期も始まらぬうちに、感冒から肺炎をひき起して倒れたのだつた。一時は危險だつたが幸に命をとりとめた。東京の病院を出るとすぐに、病後の養生のために田舍の家へ歸つてもう三月からになる。
 休暇が來ても、並の學生のやうに、その度毎に歸郷するといふことは事情が許さぬところから今度もほとんどまる二年ぶりで見る息子を、殊に病後であつて見れば、一日でも長く手許に引きとどめておきたいといふ氣持には切實なものがありながら、理由もなくさうして一日一日と出京の日を延ばしてゐる息子の心のうちが解せなくて、親達は不安であつた。しかしその不安を、面と向つて、口に出して云つてみるでもなかつた。自分達の傍を離れて、異なつた環境のなかに、いつの間にか大人になつてしまつたやうな息子に對する、愛情とは相反したものではない、遠慮や氣兼ねのやうなものがあるのだつた。息子が身につけてゐる都會的なものや、知識的なものはある場合にはたしかに、障碍であるとはいへた。しかしそれは、親達にとつては、喜ばしき障碍とでもいふべきものだつた。このやうな青年がこの家の息子であるといふことが、何か不思議な、嘘のやうな氣のする時もある。しかも息子は、さういふ青年にまで、自分を、ほとんど自力で築き上げたのである。
 それだけに老父はまた、時々云つて見ずにはゐられぬのだつた。
「駿、お前、まだ東京へは行かずともいいのかえ? 學校はもう疾うに始まつてをるんやらうが。」
 息子が世話になり、幾らかの學費をそこから得てゐるといふ人の思惑をも、老父はその律儀な胸の底で、色々に思ひ[#挿絵]らして見ないわけにはいかなかつた。
 駿介は、しかし、曖昧にしか答へなかつた。必ずしも、何等かの理由で、はつきり答へることを避けたといふのではなくて、答へようにも、彼自身、今後の身の去就について迷ひ、なほ心を定めかねてゐるのであつた。
 彼は、何か眼に見えぬ大きな力に引かれるやうな、又は、ぼんやり心に求めてゐるものを探り當てようとするやうな氣持で、毎日、村のあちらこちらを歩き[#挿絵]つた。自分の生れた村の生活をこのやうに落ち着いてゆつくり見るといふことは、今までの彼にはなかつた。今までは、たまに歸郷しても、長くて一週間もゐるのがせいぜいで、その間も閉ぢ籠りがちで、近所の人々とも寛いで話す…

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