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黎明
れいめい
作品ID47384
著者島木 健作
文字遣い旧字旧仮名
底本 「島木健作作品集 第四卷」 創元社
1953(昭和28)年9月15日
初出「改造」1935(昭和10)年2月
入力者Nana ohbe
校正者土屋隆
公開 / 更新2010-09-11 / 2014-09-21
長さの目安約 61 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 若い地區委員會の書記の太田健造は、脚の折れ曲つたテーブルの上に心持ち前かゞみになり、速力をもつて書類に何か書き込んでゐた。――街道筋の家並みがとだえがちになり、ひろびろとした田圃の眺めがちやうどそこから展けようとするあたりにその家は建つてゐた。暮れかけて間もない街道をまつすぐに走つて來た自轉車の何臺かがその家の前まで來てとまつた。暗い土間に自轉車をおしこむと、人々は腰の手拭ひを取つてパツパツと裾をはたきながら、ゆがんだ階段をぎしぎしときしませてのぼつて行く。屋根裏の一室のやうにおそろしく天井の低い部屋だつた。筵を敷き、その上にまたうすべりをのべた殺風景なこしらへではあつたが、十疊はたつぷり敷けるとおもはれる廣さだつた。明けはなした小さな窓からはすぐ向ひの丘の上まで重々しく垂れさがつてゐる梅雨期の雨雲がのぞかれ、いくどにも吹きこんでくる風は霧のやうなしめりを含むでゐた。車座になつてゐる十五六人が野良からそのまゝ持つて來た新鮮な土と汗の植物のにほひが、ゆれうごく部屋の空氣についてながれた。
(これは大した成績だぞ――)
 N町の縣本部の辯護士におくる訴訟の一件書類をやうやくまとめ終り、このT地區の責任者になつてから三度目の報告をO市の總本部にあてて書きながら、太田の神經は八方にはたらき、階段をのぼつて來る人々の足音だけで何村の何某とすぐにもさとり、これは豫期した以上の好成績と、ついさきほどまでの懸念も今は晴れておもはず彼はほくそ笑むのであつた。米田と植田と川上と川下と平沼と――すでに十ヶ村もの重も立ち者があつまつてゐる。あと三四ヶ村だ。待ちかねてゐた雨が昨夜どつと來た、この一刻千金の植つけ時にこれほどの集まりを見ようとはおもはなんだ――
「やれやれこれで助かつたわ!」
 額の汗をぬぐひながら座につくや否やさういつたのは植田支部長の平賀甚兵だつた。
「降りさうで降りやがらんけになんぼやきもきしたこつたか! 今日は猫の手まで驅り出してやつつけたぞ。源治がとこは?」
「わしらが支部は共同植ぢや。」と聲に應じて川上支部長の多田源治が眞四角な肩をそびやかして傲然といひ放つた。「待ちかまへてゐた雨が來たからいうてさうばたばたはせんわい。ちやんと順番いふものがあるけになあ。今日は倉吉がとこをやつた。明日は山本んとこぢや。わしらがとこの團體的訓練はほかの支部なんぞとはちがふけに。」
「野郎、ぬかしよつたな!」と甚兵は平手で額をぱんと叩いて言ひ、聲をあげて笑つた。どつと笑聲があたりからもわきあがつた。
「ところで、みんな、どうや。」と、また別なこゑが急にいくらか調子をおとして言つた。
「選擧の話はちつとも聞かんかな? 政友の高木や民政の上田がごそごそ動きはじめたやうな――」
「聞かいでいか!」と、その言葉を途中でおさへるやうにして平賀甚兵がはげしく言ひ、ふところに手を入れて何か…

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