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日記より
にっきより
作品ID47404
著者伊藤 野枝
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 伊藤野枝全集 第一巻 創作」 學藝書林
2000(平成12)年3月15日
初出「青鞜 第二巻第一二号」1912(大正元)年12月1日
入力者門田裕志
校正者Juki
公開 / 更新2013-06-27 / 2014-09-16
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 六日――――
 雨だらうと思つたのに案外な上天気。和らかな日影が椽側の障子一ぱいに射してゐる。
 書椽の方の障子一枚開くと真青な松の梢と高い晴れた空が覗かれる。波の音も聞こえぬ。サフランの小さい花がたつた一つ咲いてゐる。
 穏やかな、静かな朝だ。何となく起きて見たい。枕の上に手をついてそつと上半身を起して見る。少し頭が重いばかりだ。暫く座つてた。朗らかな目白の囀りが何処からともなく聞こえて来る。
 来さうにもない手紙を待つてたけれども駄目だつた。
 午後お隣りのお婆さんの歌が始まつた。夷魔山のお三狐にもう、十年近くもとりつかれてゐるのだ。七十越したお婆さんが体もろくに動かせない位痛み疲れてゐながら食べるものは二人前だと聞いて驚く。時々機嫌のいゝ時には歌ふのだ。私たちの知らないやうな、古い歌ばかりだ。毎日々々たいして悪くもない体を床に横たへて無為に暮す私のさびしい今の心持ちでは、お婆さんの歌は非常に面白く聞かれる。
「わしが歌ふたら、大工さんが笑ふた。
歌にかんながかけられよか」
なんて、おもしろい調子で歌ふ。
「婆さんが沈み入るごとある声出して歌ひなさるけん、私どもうつかり、歌はれまつせんや」
若い、お婆さんの養子は高笑ひしながらお婆さんを冷やかしてゐる。お婆さんの細い声がクド/\何か云つてゐる。暫くして畑にゐた祖母が垣根越しに養子と口きいてゐた。
「へゑ、只今御愁嘆の場で御座います、もう、近々お逝くれになりますげなけん、そのお別れの口上で……」
ときさく者の養子はあたりかまはず笑つた。祖母の笑ひ声も聞こえた。
 今日も、平穏無事な一日が静かに暮れて行つた。

 八日―――――
 午前に近藤さんが来た。昨日からの暗い悲しい気分がまだ去らないので折角来たのにろくにお話もしなかつた。何時もながらの、私の我儘は知つてゐるのだから別に何とも思つてやしないだらうけれども後で何だか気の毒な感がした。
 我儘と云へば私の此の頃の激しいわがまゝは自分でもはつきり分つてゐながら制する事が出来ない。どうせ、永いこと、家にゐる体ぢやないのだもの、とついさう思つてしまふ。それでも私に欺かれた家の者はいくらか力づいたやうだ。そして私の我儘も割合に何かと云はないでゐる。うまく、欺きおほせた私は、人々のあさましい態度と浅果な考へを冷笑してやり度いやうな皮肉な考へと一緒にまた淡い悲しみと寂しさとを感ぜずにはゐられない。そしてまたそれ等は代る/\に私の苦しい頭をかきまはすのだ。懐かしく恋しく、何時までも去り度くなくてはならぬ筈の父母の家を私は、再び逃がれ出でやうとのみ隙をねらつてゐるのだ。何と云ふ不幸な私だらう。
 然う一時の、間に合せの妥協によつての平和が何時まで続かう。一時の平和を求めて後々まで苦しむより、まだ、死によつて強く自己の道に生きる方がどの位、ましだか知れない。些の理解もない…

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