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白痴の母
はくちのはは
作品ID47405
著者伊藤 野枝
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 伊藤野枝全集 第一巻 創作」 學藝書林
2000(平成12)年3月15日
初出「民衆の芸術 第一巻第四号」1918(大正7)年10月1日
入力者門田裕志
校正者Juki
公開 / 更新2013-08-18 / 2014-09-16
長さの目安約 18 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 裏の松原でサラツサラツと砂の上の落松葉を掻きよせる音が高く晴れ渡つた大空に、如何にも気持のよいリズムをもつて響き渡つてゐます。私は久しぶりで騒々しい都会の轢音から逃れて神経にふれるやうな何の物音もない穏やかな田舎の静寂を歓びながら長々と椽側近くに体をのばして、甘つたるい洋紙の匂や、粗いその手ざはりさへ久しぶりな染々した心持で新刊書によみ耽つてゐました。
 ふと頁を切るひまの僅かな心のすきに、如何にも爽快なリズムをもつたサラツサラツと松原の硬い砂地をかすめる松葉掻きの竹の箒の音が、遠い/\子供の時分に聞きなれた子守歌を歌はれる時のやうな、何となく涙ぐまれるやうなフアミリアルな調子で迫つて来ました。私は何時か頁を切る事も忘れて其のまゝボンヤリ庭のおもてに目をやりながら其の音に聞き惚れてゐました。先刻から書物の上を強く照らして、何んとなく目まひを覚えさせた日の光りは、秋にしては少し強すぎる位の同じ日ざしを、庭の白い砂の上にもまぶしく投げてゐました。おつとりと高くすんだ空には少しふつり合ひな位に、その細かに真白な砂はギラ/\とまぶしく輝いてゐました。私は何時までも何時までもぼんやり其処に眼をすえて遠くの方から聞えて来る其の松葉掻きの音に聞き入って[#「聞き入って」はママ]ゐました。
 丁度寝おきの時の気持に似たそれよりは少し快い物倦さを覚えるボーツとした其の時の私の頭の中に、ふと祖母と弟の話声がはいつて来ました。
『あたいはどうもしやしないよ』
『本当にかまはなかつたかい?』
『かまやしないつたら! あたいは見てゐた丈けだつてば』
『そんならいゝけれど、これからだつてお祖母さんが何時も云つて聞かすやうに、芳公に悪い事をするんぢやありませんよ。芳公だつて人間だからね、決して竹の先でついたりいたづらをするんぢやないよ。他の人がどんな事をしてもだまつて見てゐるんだよ、決して仲間になつて、悪い事をするんぢやないよ』
『あゝ、大丈夫だよ、しやしないよ、何時だつて見てゐるきりだよ』
 弟は面倒臭そうに話をすると駈け出して来て椽側で独楽をまはし始めました。
『これ! またそんな処で。椽側でこまをまはすんぢやないと云つとくぢやないか』
 祖母は直ぐ後から歩みよつて叱りつけました。弟はニヤリと笑つて、そのはづんでゐるのを掌にとつたが忽ちまはり止んだので仕方がなささうにまたその長い緒を巻きはじめました。
『また誰か芳公をいぢめたの?』
 私はからかふやうに弟に聞きました。
『いぢめやしないよウ、あんな奴いぢめたつてつまらないや』
 弟は口を尖らして、さも不服らしく私の顔を見上げました。
『どうしてつまらないのさ』
 私はその小さなふくれつ面を面白がつてまた聞きました。
『だつて、何したつて黙つて行つちやうんだもの、つまらないよ』
『偶には追つかけて位来るでせう?』
『来ないよ』…

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