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惑ひ
まどい
作品ID47408
著者伊藤 野枝
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 伊藤野枝全集 第一巻 創作」 學藝書林
2000(平成12)年3月15日
初出「青鞜 第四巻第四号」1914(大正3)年4月1日
入力者門田裕志
校正者Juki
公開 / 更新2013-06-27 / 2014-09-16
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 その手紙を町子が男の本箱の抽斗に見出した時に、彼女は全身の血がみんな逆上することを感じながらドキ/\する胸をおさへた。『あの女だ、あの女だ。』息をはづませながら彼女はそふ思つた。そして異常な興奮をもつてその表書を一寸の間みつめてゐた。やがてすぐに非常な勢をもつて憎悪と嫉妬がこみ上げて来るのを感じた。彼女はもうそれを押へることが出来なかつた。直ぐに裂いて捨てたいほどに思つた。忌々しい見まい/\と思ふ半面にはどんな態度で男があの女に書いてゐるか矢つ張りどうしても見ないではゐられない様にも思つた。併し現在自分が愛してゐる男、自分ひとりのものだと思つてゐる男が他の女に愛を表す語をつらねた其の手紙を見るのは何となく不安でそして恐ろしいやうな苦しいやうな気がして、見まい/\とした。けれどもどうしても見ないではゐられなかつた。
 読んで行くうちにも彼女は色々な気持ちにさせられた。たつた一本の手紙だが、そしてそれを読み終るまでに十分とは懸らない僅かの間に彼女の心臓は痛ましい迄に虐待された。嫉妬、不安、憤怒、憎悪、あらゆる感情が露はに、あらしのやうな勢をもつて町子の身内を荒れまはつた。そしてそのうちにも自分に対するとはまるで違つた男の半面をまざ/\と見せつけられた。其処に対した、愚劣な、無智な女と、男を見た。狂奔する感情を制止する落付きをどうしても見出すことは出来なかつた。今はたゞ彼女はその感情の中に浸つて声をあげて、身をもだえて泣くより仕方がなかつた。彼女はまるで男が全く彼女から離れたやうに思ひ、そして男の持つた違つた世界を見た彼女はとりつく島もないやうな絶望の淵に沈んで行つた。
 漸く幾らかの落ちつきを見出すとやがて男に対するいろんな感情がだん/\うすれて行くのを不思議な気持ちでぢつと眺めた。やがてすべての憤怒、憎悪が女の方に漸次に昂ぶつて来た。そして何とも云ひやうのない口惜しさと不愉快な重くるしさが押しよせて来た。それは明かにあの女に対する強烈な嫉妬だと云ふことは意識してゐた。併しその気持をおさへて何でもないやうにおちついてゐることは出来なかつた。それに男の何でもないやうな顔をしてゐるのが憎らしかつた。町子はもうその手紙をズタ/\に引きさいて男の顔に叩きつけてやりたかつた。たとへそれは日附けはかなり今と隔りがあるにしてもそれつきりであつたとは思へない、彼女が此処に来たときまではたしかに続いてゐたのだ。彼女はたしかにそれを知つてゐる、続いて起つた連想はかの女の頭をなぐるやうに強く何物かを思ひ起さした。男との関係がはじめから今までの長い/\シーンの連続の形に於て瞬間に彼女の眼前をよぎつて過ぎた。そしてその強く彼女を引きつけた処に尤も彼女の不安なあるものが隠れてゐた。それは彼女を彼女の中にも隠れてゐて絶えずなやましてゐた疑惑の黒い塊であつた。機会を見出して塊はずん/\広がつ…

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