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人間製造
にんげんせいぞう
作品ID47430
著者国枝 史郎
文字遣い新字新仮名
底本 「国枝史郎探偵小説全集 全一巻」 作品社
2005(平成17)年9月15日
初出「ポケット」1924(大正13)年8月
入力者門田裕志
校正者hitsuji
公開 / 更新2021-04-08 / 2021-03-27
長さの目安約 22 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 大阪の町は寂しかった。
 夜はもう三時を過ごしている、つまり時刻は真夜中であった。其時一人の労働者が力の無い足どりで歩いて来た。
「今日で俺は二日、飯を食わねえ、いつマア食物に有りつけるんだろう? 一寸先ぁ暗闇だ。何時ありつけるか知れたものじゃねえ。と為ると生命の問題だ! へ、人間て云う奴ァ屹度恐らく此様時に盗賊根性を起こすんだろうぜ。何しろ生命の問題だからな。死ぬか生きるかの問題だ。盗みをしなけりゃ食う事が出来ねえ。食う事が出来なけりゃ死んで了う。そうだくたばって了うのだ! ……くたばる! くたばる? へくたばり遊ばすのだ! おお、厭な事だ真平だ! ――死ぬのが厭なら食わなけりゃならねえ。が一体何うしたら食えるんだ? 東京、横浜、そして神戸――それから一昨日此町へ来たんだが、どこの工場でもお断りだ。実は今人減しの最中なんでね……何処も彼処も同じご托宣だ。そこで余り外見の好くねえ労働者の乾物っていう奴が、出来かかっていると云うものさね。――ところで此処は何処なんだろう?」
 こんな事をブツブツ呟き乍ら、大きな建物の角を曲がり、左手の方へ歩いて行った。
 彼の歩いて行く往来の右手に、運河と云ってもよいほどの大阪特有の堀割があって、対岸の大きな建物から、水面へ落す燈火の光が、虹のように美しく見えていたが、勿論飢えたる労働者には、綺麗だとも素晴らしいとも思われなかった。
 三町あまりも歩いた時、堀割を越して向うへ行ける長い橋があったけれど、彼は渡ろうともしなかった。併し其辺は海の入口かして、プンと潮臭い生暖い風が、彼の鼻の辺を吹き過ぎたので、鳥渡ばかり小鼻を蠢かした。
「一体ここは何処なんだろう?……俺に執っちゃあ大阪は今度が初のお目見得なんだからな。何が何処にあるんだか解りァしねえ……、ああ本当に厭だ厭だ! 様子の知れねえ町の真中を、宿も取れずこんな夜中に、宛も無くウロウロ歩き廻わるなんて――おや、畜生、野良犬までが、迂散に思うかして吠え付きあがらあ」
 往来は橋から左へ曲がるので、彼も道なりに左の方へよろめき乍ら歩いて行った。と又一つ橋がある。其橋を渡って少し行くと、洋館ばかりが立ち並んでいる寂しい寂しい街通へ出たが、もう此頃から彼の脚は彼の命令に従わなくなった。つまり歩けなくなったのである。
「脚まで俺を馬鹿にしてやがる!」
 泣声で斯うは呟いたものの、偖他に為ようも無かったので、野宿の場所を探がし始めた。併し其辺には彼の意に適った思わしい隠場所も無かったので、命令を諾かない二本の脚を、無理に引擦って復た歩き出した。斯うして半町も行った頃、大きな建物の前へ出たが、もう其時は脚ばかりで無く、体も精神も疲れ果てて、歩こうにも足が出なかった。
「一体俺は何うなるんだ! ええ最う何うなろうと儘にしやがれ! おや、眼がグルグル廻わり出したぞ。や、胃の辺が痛み出…

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