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作品ID | 47490 |
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副題 | 05 鴎 05 かもめ |
著者 | 久生 十蘭 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「久生十蘭全集 Ⅶ」 三一書房 1970(昭和45)年5月31日 |
初出 | 「新青年」博文館、1939(昭和14)年5月号 |
入力者 | tatsuki |
校正者 | 小林繁雄、門田裕志 |
公開 / 更新 | 2009-01-20 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 68 ページ(500字/頁で計算) |
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一
「兄さん、あたしは、困ったことになりはしないかと思うんですがね。ピエールは、きのうも、あのお嬢さんと二人っきりで話していましたよ」
海風でしめった甲板の上を大股で歩きながら、エステル夫人が、男のようなしっかりした声で、こういう。薄い靄のなかで、朝日がのぼりかけようとしている。
「あたしも、あのお嬢さんのいいところは認めます。でも、あなたのこういうやり方には、あまり賛成できませんね。……これじゃ、まるで、騒ぎの起きるのを待ってるようなもんだ」
アマンドさんが、厚い首巻きのおくで、はっきりしない声をだす。
「それは、いったい、どういう意味だね」
船尾までゆきつく。
そこで、くるりと廻れ右をして、白髪頭を二つ並べながら、また戻って来る。
「ピエールが、あのお嬢さんを好きになったらどうします」
「ありそうなこったね。……白状するが、わしもあのお嬢さんがだいすきだ」
「そんなことは、聞かなくってもわかっています。あなたの日本心酔は並大抵じゃないんだから。……しかし、それは、あなたの趣味だけのことでしょう。ともかく、そんなことのために、不幸な人間をひとりこしらえあげることは、あたしは反対です」
アマンドさんが、びっくりしたように立ちどまる。
「だれが、不幸になるというんだね」
「いわなくてもわかっているでしょう。レエヌです。……なるほどレエヌにはすこし気ままなところがありますが、それはそれとして、むかしならいざ知らず、今じゃ、あんなやくざな兄しかいない日本なんかで、ピエールにすてられでもしたら、あの娘は、いったいぜんたいどんなことになると思うんです」
「ピエールが、そんなことをいったのか」
「いいえ。……でも、ピエールがいまなにを考えているか、あたしにはよくわかっています。……あのお嬢さんを見る眼つきをごらんなさい」
アマンドさんが、クスクス笑いだす。
「お前の苦労性には、いつもながら驚嘆させられるよ。……これはともかく、そんなことなら、心配しなくてもいい。……あのお嬢さんは、レエヌからピエールをとりあげるようなことはしないから」
「どうして、そんなことがわかるの」
アマンドさんは、ピクンと肩をすくめる。
「あのお嬢さんは、かくべつピエールなんか好いていないからだ」
「そんなこと、わかったもんじゃない」
エステル夫人は、踵で甲板をコツンと踏む。
「これだけいってもわからないなら、もう議論はよしましょう。……とにかく、あたしはそんな騒ぎを見るのはいやだから、横浜へ着いたら快遊船を降りて、ひとりでカナダへ帰ります。……あとは、あなたがいいようになさい。あたしは、知らないから」
「したいようにするがいいさ」
「最後に、はっきりいって置きますがね、あたしはあくまでもレエヌの味方ですよ。そう思っていてください」
「わかった、わかった」
エステル夫人…