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乳を刺す
ちちをさす
作品ID47509
副題黒門町伝七捕物帳
くろもんちょうでんしちとりものちょう
著者邦枝 完二
文字遣い新字新仮名
底本 「競作 黒門町伝七捕物帳」 光文社文庫、光文社
1992(平成4)年2月20日
入力者大野晋
校正者noriko saito
公開 / 更新2010-03-25 / 2014-09-21
長さの目安約 36 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

     星灯ろう

 陰暦七月、盛りの夏が過ぎた江戸の町に、初秋の風と共に盂蘭盆が訪れると、人々の胸には言い合わせたように、亡き人懐かしいほのかな思いと共に、三界万霊などという言葉が浮いてくる。
 今宵は江戸名物の、青山百人町の星灯ろう御上覧のため、将軍家が御寵愛のお光の方共々お成りとあって、界隈はいつもの静けさにも似ず、人々の往き来ににぎわっていた。
「なアお牧、お春や常吉は、まさか道草を食ってるわけじゃあるまいね、大層遅いじゃないか」
「そんなことはござんせんよ。お組頭のお屋敷は、ここから五丁とは、離れちゃいないんですもの。きっと将軍のお成りが、遅れているんでしょうよ」
 梅窓院の近くにある薬種問屋伊吹屋源兵衛の家では、大奥に奉公に上がっている娘の由利が、今夜は特に宿退りを頂けるとあって、半年振りに見る顔が待ち遠しく、先ほど妹娘のお春に、手代の常吉をつけて、途中まで迎えに出したのであったが、奥の座敷に接待の用意が出来ると、源兵衛はしびれを切らした挙句、すでにとっぷり日の暮れた門口へと、首から先に出向いたのだった。
 ふと気がつけば、いつの間にやら女房のお牧も、源兵衛の背後に寄り添って、百人町の方角へと首を伸ばしていた。
「ねえ、旦那。今夜お由利が帰ってきましたら、平太郎さんとの話を、すっかり決めて、一日も速くお城から退るようにしたいもんですねえ」
「それはわたしも、望んでいるんだが、お由利の便りでは、上役の袖ノ井さんとやらが、可愛がって下さるとかで、急いで退りたくはないとのこと。今時の娘の心はわたしにゃ解せないよ」
「何んといっても、町家の娘が、いつまでも御奉公をしているのは、間違いの元ですよ。……そういえば、本当に遅いようですが、何か変わったことでも、あったんじゃござんせんかしら?……」
 お牧の心配そうな様子に、同じ思いの源兵衛も、町の彼方へ眼をやった。
 百人町の一帯は、どの屋敷も、高さ五、六間もある杉丸太の先へ、杉の葉へ包んだ屋根を取り付けて、その下へ灯ろうを掲げてあることとて、さながら群がる星のように美しかった。
 明和、寛政のころまでは、江戸の民衆は、急にこぞって家毎に高灯ろうをつるして、仏を迎えたものであったが、天保の今では、まったく廃れて、寺々や吉原の玉屋山三郎の見世に、その面影をしのぶばかり。しかも、鉄砲組同心の住む、青山百人町だけが、いまだにそのしきたりを改めることのない珍しい情景は、江戸名物の一つとなって、盆のうちの一夜は、将軍家が組頭の屋敷を休憩所に、わざわざ駕をまげるのが、長い間の慣わしになっていた。
 今宵も将軍家慶は、愛妾のお光の方と共にお成りとあって、お光の方に仕えている源兵衛の娘由利も、その行列に加わったのであるが、日ごろの勤め振りにめでて、途中から実家へ帰ることを許されたとの報せが、すでにきのうの朝、伊吹屋一家を、有…

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