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歌麿懺悔
うたまろざんげ
作品ID47513
副題江戸名人伝
えどめいじんでん
著者邦枝 完二
文字遣い新字新仮名
底本 「歴史小説名作館8 泰平にそむく」 講談社
1992(平成4)年7月20日
初出「面白倶楽部」1948(昭和23)年4月号
入力者大野晋
校正者noriko saito
公開 / 更新2008-11-28 / 2014-09-21
長さの目安約 24 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

        一

「うッふふ。――で、おめえ、どうしなすった。まさか、うしろを見せたんじゃなかろうの」
「ところが師匠、笑わねえでおくんなせえ。忠臣蔵の師直じゃねえが、あっしゃア急に命が惜しくなって、はばかりへ行くふりをしながら、褌もしずに逃げ出して来ちまったんで。……」
「何んだって。逃げて来たと。――」
「へえ、面目ねえが、あの体で責められたんじゃ命が保たねえような気がしやして。……」
「いい若え者が何て意気地のねえ話なんだ。どんな体で責められたか知らねえが、相手はたかが女じゃねえか。女に負けてのめのめ逃げ出して来るなんざ、当時彫師の名折ンなるぜ」
「ところが師匠、お前さんは相手を見ねえからそんな豪勢な口をききなさるが、さっきもいった通り、女はちょうど師匠が前に描きなすった、あの北国五色墨ン中の、てっぽうそっくりの体なんで。……」
「結構じゃねえか。てっぽうなんてものは、こっちから探しに行ったって、そうざらにあるもんじゃねえ。憂曇華の、めぐりあったが百年目、たとえ腰ッ骨が折れたからって、あとへ引くわけのもんじゃねえや。――この節の若え者は、なんて意気地がねえんだろうの」
 背の高い、従って少し猫背の、小肥りに肥った、そのくせどこか神経質らしい歌麿は、黄八丈の袷の袖口を、この腕のところまで捲り上げると、五十を越した人とは思われない伝法な調子で、縁先に腰を掛けている彫師の亀吉を憐れむように見守った。
 亀吉はまだ、三十には二つ三つ間があるのであろう。色若衆のような、どちらかといえば、職人向でない花車な体を、きまり悪そうに縁先に小さくして、鷲づかみにした手拭で、やたらに顔の汗を擦っていた。
 歌麿は「青楼十二時」この方、版下を彫らせては今古の名人とゆるしていた竹河岸の毛彫安が、森治から出した「蚊帳の男女」を彫ったのを最後に、突然死去して間もなく、亀吉を見出したのであるが、若いに似合わず熱のある仕事振りが意にかなって、ついこの秋口、鶴喜から開板した「美人島田八景」に至るまで、その後の主立った版下は、殆ど亀吉の鑿刀を俟たないものはないくらいであった。
 一昨年の筆禍事件以来、人気が半減したといわれているものの、それでもさすがに歌麿のもとへは各版元からの註文が殺到して、当時売れっ子の豊国や英山などを、遥かに凌駕する羽振りを見せていた。
 きょうもきょうとて、歌麿は起きると間もなく、朝帰りの威勢のいい一九にはいり込まれたのを口開に京伝、菊塢、それに版元の和泉屋市兵衛など、入れ代り立ち代り顔を見せられたところから、近頃また思い出して描き始めた金太郎の下絵をそのままにして、何んということもなくうまくもない酒を、つい付合って重ねてしまったが、さて飲んだとなると、急に十年も年が若くなったものか、やたらに昔の口説が恋しくてたまらなくなっていた。
 そこへ――先客がひと通り立…

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