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![]() 「かくしぎ」いへん |
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作品ID | 47572 |
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著者 | 長谷川 時雨 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「桃」 中央公論社 1939(昭和14)年2月10日 |
初出 | 「東陽 昭和十一年六月號」1936(昭和11)年6月 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 仙酔ゑびす |
公開 / 更新 | 2009-01-26 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 12 ページ(500字/頁で計算) |
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柳里恭の「郭子儀」の對幅が、いつのころかわたくしの生家にあつた。もとより柳里恭の眞筆ではない。ほんものならば、その頃でも萬といふ級の取引であつたらう。或はわたくしのうちにあつた、その寫しものでも今日の賣立などであつたら、矢張り萬とか千とかいふ代物であつたかも知れない。
それは、とて大幅で、書院がけとでもいふのか、もとよりわたくしの生家の、茶がかつた床の間には合ひやうもなかつた。幅二間からある本床でなければ、第一丈がたりないといつた立派さだつた。
一たい、ものが大きいから立派だとばかりはいへないが、この軸はかなり良かつた。素晴らしいとまではいはないが、たしかに立派なものだつた。子供といふものは妙な直覺があつて、巧手、下拙より何より、そのものの眞髓に觸れることがあるもので、成人の思ひつかないものをピンと掴むものだ。それが善い場合も、惡い場合も、名や格に眩惑されない。といつて、子供の鑑識眼が高いなどと歪めていふのではないから、わたくしが子供心に、放心したやうにその繪に囚はれてゐたといつても、なあんだと、笑はれてしまつては困る。だがその繪は、寫しものといふ氣品の低さは、どう思ひ出して見てもなかつたやうだ。
ところで其繪には、柳里恭とも棋園とも落款はなかつたと思ふ。柳里恭だといふのだが寫しものであるだらう。だが、高名な人のもので、しかも、かかる大幅なので、寫しものであらうといふのだが、摸寫としてもそれをうつした人は大家で、傑作だと、もとより出入りする人の追從もあつたであらうが、わたくしの家に「郭子儀」のおめでたい圖があるといふことは、近隣では知つてゐた。
ある日、興宗といふ畫家が――美術院派の畫家で、有名な「落葉」の屏風を殘した今村紫紅の兄さん――いつものやうに父とお酒を飮みながら――興宗は大酒で、父とは年齡が違ふが、うまがあふので、ちよくちよく來てはお酒びたりになつてゐた――何時かはなしが「郭子儀」の幅のことになつて、もしかするとそれは楓湖でせう。容齋先生の門にゐた若い時分、柳里恭の「郭子儀」をなんとかしたといふやうなことを言つたのを、たしか耳にしたがと言つてゐた。
これは、今日になつて考へてみると、別に惡いことでもなんでもない。よいものを失つては天下の損失であるから、摸寫しておくのは頼まれなくても頼まれても惡いことではないのに、その當時の人は堅苦しくて、摸寫をさういふふうにもとらず勉強のためともとらず、贋物つくりのやうに、その者を侮辱するかのやうに聲をひくめて、遠慮して子供にもきかせたくないやうな顏を、わたくしの父などもした。楓湖とは松本楓湖で、菊池容齋門下の逸足、明治年間の高名な繪かきの一人だつた。
今村興宗は楓湖さんのお弟子だつた。紫紅もさうだつたやうだ。興宗はよくこんなことを言つてゐた。わたくしは左利きになつてしまつたが、弟は右利き、すこしでも…