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鏑木さん雑感
かぶらぎさんざっかん
作品ID47595
著者木村 荘八
文字遣い新字旧仮名
底本 「東京の風俗」 冨山房百科文庫、冨山房
1978(昭和53)年3月29日
入力者門田裕志
校正者伊藤時也
公開 / 更新2009-01-27 / 2014-09-21
長さの目安約 25 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

        一

 ぼくは鏑木さんに面と向ふと「先生」と呼ぶ。かげで人との噂や取沙汰に呼ぶ時は、「鏑木さん」または「矢来町」である。かういふ相手方のひとのいつとなく互ひの中で出来る呼び名は、その音や言葉にいひ知れぬ実感のこもつた面白いものであるが、鏑木さんはぼくを「木村サン」といつて下さる。またぼくには鏑木さんを目の前では鏑木さんとは決して呼べないのである。
 それは一々どういふわけでといふ、わけは一向感じない。たゞぼくにとつて鏑木さんは常に余人ならぬ「鏑木さん」で、そして「先生」だといふことを述べる。
 この鏑木さんは又ぼくにとつて古いお方である。親しく御知り合ひになつてからは二十年経つてゐないにしても、ぼくは今年五十歳であるが――と書きながら、ぼくのやうなものも、早や五十歳になつたかと今更ながら時の経過を思ふ。鏑木さんは明治十一年生れ、寅どしの、六十五歳になられた筈である。
 そのぼくが鏑木さんを少くも感知してゐる年月は、とうに四十年に近づこうとする長きに及んだ。ぼくはものごころがつく抑々初めから、絵好きで、よく人と笑談にいふ「生れてこの方ずつと文弱に流れてゐた」経験の、これに加ふるに家庭の環境関係や上長の影響などもあつたところから、子供の頃から、雑誌、新聞の類、小説本等々と親しかつた。今では見かけないやうだけれども、明治末の年頃はまだ盛んに東京の下町界隈にあつた、「移動図書館」風な貸本屋といふもの、学校でほんの五六冊読む教科書以外は目に触れる本といへば、いつも際限なく後続部隊の用意されてゐるその貸本屋の棚や風呂敷包から提供されるもので、それも始めは呉服のたたう紙で表紙を作つた講談本に始まつたのが、段々と月々の雑誌や新刊本にうつり、中学時分には更にこれが貸本屋から普通の本屋へと手が延びて、本屋から月々の通ひで目ぼしい新刊をとることゝなつた。
 しかもその選取する本といへば、軟文学に限つたから、当時、岡鹿之助のお父上の鬼太郎さんの書きものなどは、殆んど雑誌の毎号を欠かさず通読してゐたものだし、新小説や文芸倶楽部――今でいへば、中央公論・改造――はその編輯振りの匂ひも身近く毎号聞きわける親しさで接してゐた。そしていふまでもなくそれ等の「匂ひ」の中には、わが鏑木さんは珍しからず墨絵なり色絵を介して、ある芝居の座附俳優が常にこの座の定連の見物人にとつて顔なじみであるやうに、親しくいつも登場された。「清方ゑがく」はそんなわけで、年少以来ずつとぼくになじんで来たのである。
 ぼくは勿論後に「上野」へ登場された場合の鏑木さんを知つてゐる。これは時経つにつれてぼくも亦上野の人間となつた関係から、ある時は口幅つたく批評なども申しつゝ時と共にいよいよよく知るに至つたけれども、「親しさ」と従つてその無垢の愛情から「なじんだ」鏑木さんの度合ひは、もしかすると、上野以前の方が…

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