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両国今昔
りょうごくこんじゃく |
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作品ID | 47603 |
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著者 | 木村 荘八 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「東京の風俗」 冨山房百科文庫、冨山房 1978(昭和53)年3月29日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 伊藤時也 |
公開 / 更新 | 2009-01-12 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 17 ページ(500字/頁で計算) |
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櫓太鼓にフト目をさまし、あすは……といふけれども、昔ぼくが成人した家は、風の加減で東から大川を渡つてとうとうと回向院の櫓太鼓が聞えたものだつた。ぼくの名は生れ落ちてからこれが本名であるが、この荘の字をよく人に庄屋の庄の字と間違へて書かれることがある。昔は川向うの行司木村庄某あてのハガキや手紙が番地が不完全だとぼくの家へ舞込むと同時に、ぼくへの通信がまた一応両国橋を向うへ渡つて附箋をつけて戻されたことなどあつた。両国はぼくの故郷である。
しかし近来の両国はぼくにとつては全く勝手のわからない、甚だ縁の遠いものになつてゐる。第一、自分があの地域のどの辺で生れたのか――ぼくは日本橋区吉川町一番地といふところで生れたのだが――現にあの辺へ行つて見ても、ほとんど見当が付かない。実はアハレないことにはそれでも多少は見当が付かうかと、性懲りもなく、今までに二三遍、浅草橋界隈を歩いて見たことがある。そのたんびに益々分らないのである。――近ごろでは東京の「両国」といふところは少々ぼくにとつて不愉快な存在の、どうでもいゝところになつて来た。
――それがやはり性根は故郷忘じ難しといふわけなんだらう。偶々筆を執つて「両国」を念頭にする、材料にするのは、私にとつてうれしいのだ。
この心持は果して何だらう? たゞのセンチではないやうであるが、ひつきやう、自分の生活には過去も、現在も、未来も恐らく浸み透してゐる、生れた土地の記憶や実感。少くもぼくといふ人間はその実感を以て初めてジンセイといふ奴を呼吸した。その匂ひであらう――これがぼくをハウントするらしい。
この頃のやうな寒風のつのる日は、ぼくは昔から目の性がわるいのでボロボロ頬に涙を流しながら、しかし正月は凧といふ手があるので、朝起きて風さへ吹いてゐれば、決然としたものである。といつても、往来や広つぱで揚げる凧はぼく達には無く、足袋はだしで吹きつさらしの大屋根へ上つて揚げるのであるが、若し風が西で、吉川町からまつすぐ元柳町一帯の屋根々々を吹き越して回向院の方角へ向つてくれゝば、ぼくの凧は人家稠密の日本橋区から先きの打展いた本所区(大川の方)へ向つて飛揚するから、絶好のコンディションである。風がさうでないと、少し揚つても、忽ち電線に引かゝるか、または横山町辺の問屋町の屋上にはどの家にでもある針金の角を生やした大きな鬼瓦や、邪魔な物干しや、火の見に尻尾をとられて、面くらつて切れてしまふ。
ぼくは須賀町で巻骨の三枚半以上の武者絵の凧を買ふことを好んでは、これに大形のウナリとガンギリを付けて、尻尾は三間たち切りといふのを確か大人に教はつたまゝいつもその定法通りとした。あたじけないことだが、この巻骨の気負ひの凧がそのころ一円二十銭かで、何でも一式で、二円五十銭かゝつたおぼえがある。子供の二両二分は三ヶ日のおふくろに貰つたお年玉と、おばあ…