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河風
かわかぜ
作品ID47610
著者長谷川 時雨
文字遣い旧字旧仮名
底本 「随筆 きもの」 実業之日本社
1939(昭和14)年10月20日
初出「週刊朝日」1933(昭和8)年8月
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2009-02-14 / 2014-09-21
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 江東水の江村の、あのおびただしい蓮が、東京灣の潮がさして枯れさうだといふ、お米も枯れてしまつたといふ、葛飾の水郷もさうして、だん/″\と工場町になるのだらう。龜井戸の後など汽車の窓からみると、紅白の花が可哀さうなほど汚ならしくぎら/″\した蓮田がある。
 隅田川流域――たつた一筋の東京をつらぬく川、むかしは武藏下總のなかを流れた大川筋の、武藏側の、今戸、橋場のさきには潮入村といふ名がある。むろんあの邊一帶に、葭芦しげる入江であつたのだといふし、下總も、眞間の入江と歌にも殘つてゐる通り、鴻の臺下まで海であつたのだから、その點、蓮田に潮の逆入は古い/\昔にかへつた――ともいへるが、青い/\海原が、青い/\水田になり、また青い/\波が打寄せるやうになるのではなく、こんどは、青いものなんか何ひとつない、眞黒い煤煙と、コンクリートになつて、以前は青いものを自然が示したが、後には青いのはそこに住む人間の顏といふことにならう。現在でも、千町田を目の前にして、田は赤く枯れ、人の面は憂ひに青ざめてゐるのだ。
 夕立や田をみめぐりの神ならば――と俳聖が干天に祈つた三圍神社も、もう香夢洲の名所でもなくなつてしまつた。
 だがまた、なんと夢のやうな世の中だつたのだらう、銀の吹きかへの、金の吹きかへのと幕政は押詰つて、江戸の主權は押倒されさうになつてゐる時、江戸人は、香夢を追つて、三百年泰平のくはへ楊子で[#「楊子で」は底本では「揚子で」]好い心地に船遊山などしてゐたのだ。もとよりそんな事の出來る少數人だが、隅田川流域文明は、さうした泰平人も籠めて押流されていつてしまつた。いまでも川風に青蚊帳を吹かせたりする家が、この川岸の兩岸にあらうけれど、人情はおなじでも、洗ひあげた江戸情緒とはおよそイミテーシヨンだ。むしろ、もつとモダン化したものに、薄つぺらでも今日の本當の姿をみとめる。
 夕汐があげてきた時、向島の寮からぶらりと出て、言問の渡しを待つ間に、渡船の出た向岸の竹屋のあたりから、待乳山にかかる夕陽の薄れに、淺草寺の五重の塔もながめ、富士もながめ、吉原の灯もおもつた人々は、水にゆられてゆく大川との親しみを、日に一度は川を渡らなければといふふうに、多分に持つてゐたのだ。
 舟の中といへば、松の門三艸子といふ歌人が、本所松井町の藝者になつてゐた時分、水戸の天狗黨の人々に、船の中で白刀で圍まれた話は、もう傳説になつて作り話化してきた。三艸子は日本橋茅場町の井上文雄といふ國學者の妾となつて、豐かでない臺所仕事をしながら學んだ女だつた。そこにゐる時分は黄八丈の着附できりりとしてゐたといふが、人情本にのこる小三金五郎で有名な、額の小三の名をとつて、小川小三といふ藝名で出た位だから、侠だつたに違ひない。明治四十年ごろ八十からになつてゐたが、足腰がきかなくても艶々した美女だつた。能書で新橋の藝者に…

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