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桑摘み
くわつみ
作品ID47617
著者長谷川 時雨
文字遣い旧字旧仮名
底本 「桃」 中央公論社
1939(昭和14)年2月10日
初出「新裝」1935(昭和10)年7月1日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2009-01-26 / 2014-09-21
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 庭木の植込みの間に、桑の細い枝が見える。桑畑に培はれたものよりは、葉がずつと細かい。山桑とでもいふのかもしれぬ。
 おお、さういへば、かつて、兵庫の和田の岬のほとりが、現今ほどすつかり工場町になつてしまはないで、松林に梅雨の雨が煙り、そのすぐ岸近くを行く汽船の、汽笛の音が松の間をぬつて廣がりきこえるほど、まだ閑靜だつた時分、ある家の塀の中に、外から見えるほどたけ高く枝をさしかはして外を覗いてゐる桑の木があつた。小學生たちがそれを見つけたと見えて、蠶にやるのだからと貰ひに來た。たまたま、その家の泊り客だつたわたしが、庭逍遙をして、門のそとまで歩いてゐるときだつたので、わたしがその家のうちの人のやうな顏をして、摘んでやつたことがある。下枝の方にはもう摘む葉がなかつた。この間來て貰つていつたのだといふ。私は上の方へ手をのばしながら、小學生たちに、いくつ飼つてゐるのかときいた。去年はこの位だつたがと小さい掌を双方ぴつたりつけて、てんでに繭をすくひとるやうにくぼませて見せて、今年はもつと増やすのだといつた。
 わたしが、いくつ飼つてゐると聞いたのもをかしいが、私にも思ひ出があつたからだつた。あたしのは子供のをり、たつた二つぶ――今思へば、小つぶな色も黄色つぽい、あんまり優良でない繭を貰つたのだが、はじめてほんものの繭といふものを手にしたので、紙へ包んでおいたり、小裂へくるんだりして、それはとても大切にしたものだつた。どこへ入れておいたら一番安全かと、寶石ずきが、素晴らしい寶石でも手に入れたときのやうに貴重な品とした。そこで、香箱の中へしまふことにした。その香箱のなかには、一個ひとつ、なにやら子供心に、身にとつて大事な、手離しがたいものが入れてあつて、毎日蓋をあけると、無言に對話してゐた馴染ぶかい品に、居處を明けさせたのだから、ね、みんなすこしの間、この香箱ね、繭さんにかしてあげてねと言ひきかせたりしたものだつた。
 繭をもらつて來たはじめは、捨ててしまへといはれると大變だから、家のものに内密で袂へいれてゐたのだが、轉がして落してしまふといけないと、懷へ入れてゐたならば、はねが生へて飛び出しはしないかと、すこしばかり蠶のことを知つてゐるといふ、小さい女中がこつそり言つた。だが、この小さい女中の鑑定では、たぶんこの繭は、振つて見ると音がするから生きてはゐない、何時までもこのままだといふので安心して、香箱へ入れておいて、時々見ることにしたのだつた。
 ある日、藏座敷のうすくらがりで、そつと箱の葢をとつて覗くと、黄色つぽい蛾が二ツバサ/\と忙しなく香箱の中を駈け[#挿絵]つてゐて、私をおどろかせた。蟲類のきらひだつたあたしといふ子供は聲をあげて、呪魔の凾をあけたかのやうに騷いだ。
 都會の子供は、蠶の出來るじゆんじよを知らなかつたのだ。蠶に桑の葉をやることは、實物をしらずに…

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