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春宵戯語
しゅんしょうぎご
作品ID47625
著者長谷川 時雨
文字遣い旧字旧仮名
底本 「桃」 中央公論社
1939(昭和14)年2月10日
初出「週刊朝日」1936(昭和11)年3月1日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2009-01-26 / 2014-09-21
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 ふと、ある日、菜の花のお漬けものがございますかとAさんにお目にかかつたとき、關西の郊外の話から、お訊ねしたことがあつた。それは、ずつと前に、たしかに菜の花であらうと思ふのを食べた、その風味を忘れないでゐたからだつた。
 ありますとも、しかし、あれは、はじめに出たしんを止めて、二度目に一本出た花の、頭のさきを、ちよぼつと摘んだのがよろしいと委しくをしへていただいた。わたしはくひしんぼで食道樂からばかり菜の花漬をおぼえてゐたのではないが、あると聽いてうれしかつた。
 わたしは子供の好むやうな春の景色がすきで、したがつて菜の花に黄色い蝶が飛んでゐるありきたりの野面が大好き。目もはるかに、麥畑が青くつづいて、菜の花畑は黄で、そのずつとむかうに桃圃のある、うち展けた、なだらかな起伏の、平凡すぎるほどのどやかな田園風景が好きだつた。だがもう、東京附近ではさうした景色はだんだんなくなつてしまつて、麥畑や桃圃はあつても、黄色い菜の花のつづいたところなどは、げんげ草とともに、春の野面からいろどりを失つてしまつてゐる。
 で、いつも菜の花を思ふと、河内の風を思ひだす。菜の花のかをりと、河内和泉の、一圓に黄色にぬりつぶした中に、青い道路のある、閑けさと、豐けさとをもつ田舍が、すぐ目にくるのだつた。そしてまたわたしは、あの菜の花の咲きつづく和泉の國、信田の森の葛の葉狐の傳説をおもひうかべないではゐない。
 この傳説は、幼少のころ、文字から來ないで、さきに、目と耳からはいつた。見る方は芝居で、障子へ、戀しくばたづね來てみよ和泉なる信田の森の怨み葛の葉、と書き殘して姿を消す、葛の葉姫に化けた狐の芝居の幻想が、すつかりわたしを魅了してしまつたのだつた。母狐に殘された幼い阿部の童子のあはれさが、おなじ年頃のものの心へ働きかけたのはいふまでもないが、あの芝居の舞臺面はいかにも美しく情趣がこまやかだ。[#挿絵]たけてしかも鄙に隱れ住む、すこし世帶やつれのした若い母が、窓のきはで機を織つてゐる夕暮れ、美しい都の姫がたづねてくる。ほんものの葛の葉姫と狐葛の葉との喜悲は、障子の紙一重の相違となり、破局となる。
 花野を、紅い緒の塗笠をかぶつて、狐葛の葉が飛んでゆく舞臺の振りは、どんなに幼心をとらへたらう。それは千種の花野であり、葛の葉の怨みからいつても、秋の野であり、秋の暮の出來ごとであるのを、どうして、菜の花と關聯して考へるのかといふと、日向雨の仲だちがある。
 陽光がさしてゐて薄い雨が降ると、狐の嫁入りだ、狐の嫁入りだと、なんのわけか知らないが、子供たちは地べたに腹んばひになつて、地上を透して見ようとした。さうすると、お駕籠に乘つたのも、お供のさげてゐる提燈も見えるのだといふ、さういふ優しげなことを耳にきいてゐるので、狐が化かすと馬糞を御馳走だといつて食べさせたり、こやし溜へお湯だといつて入れ…

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