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煎薬
せんやく
作品ID47633
著者長谷川 時雨
文字遣い旧字旧仮名
底本 「随筆 きもの」 実業之日本社
1939(昭和14)年10月20日
初出「あらくれ」1936(昭和11)年10月2日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2009-02-17 / 2014-09-21
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 腸を拂ふと欝血散じ、手足も暖まり頭輕く、肩張りなんぞ飛んでゆくと、三上の友人が漢方醫を同道されて、藥効神のごとしといふ煎藥をすすめてゆかれたので、わたしはそれを一服、ちよつと失禮して見た。
 煎藥を、苦い顏をして飮み下したわたしは、あれとこれと、今日から明日中にしてしまふ仕事のはかどりを考へてニコついてゐた。頭をはつきりさせておかないことには、卅一日あると思つてゐたのが三十日ぎりで、しかも廿九日だと數へちがひをしてゐた日が三十日といふわけで、二日間のとりかへしをつける氣がまへなのだ。藥は、昨日の朝半服分、夜寢しなに殘り半服、今朝また半服飮んで、さあ來い來たれとばかり、心身すがすがしくなるのを待つてゐると、お晝過ぎから夢心地のやうな水瀉がつづいて來た、具合が甚だよろしくない。
 はてな、と妙な顏をしてゐるうちに、夜になると、いよ/\度數を増して來た。さうでなくとも幽門は弱く、胃は小さいと宣告されて、秋雨のころを、夏の冷の出るのを毎年恐れてゐる身ではあり、神經性下痢をやるのではあるし、廣島のコレラで神經過敏になつてはゐるものの、何分原因が原因で、わかりすぎてゐて、氣持ちをかるくして、廿四時間を六十時間位に用ひようとした、大慾は無慾に似たりの失敗であつたから、懷爐を入れて身を丸くして寢て見た。
 ところが、半身の重い病人に服させようとしたのであるから、手輕には言はれたが、懷爐ぐらゐで治するやうな、効かない藥ではなかつた。幾度も/\上厠するのを、深夜に氣づかはれまいとするうちに、弱い胃は下から刺戟されて、突き上げるやうになる。痛んでもきて、はげしい胃痙攣とおなじだが、まだしも落付いてゐられることは、手足が冷上らないことだつた。
 明方ちかかつた。
「どれ、見てやらうか。」
 と隣室での身じろぎに、折角全治に近い主人に、風邪でもひかしては大變だと思つて、返事もせず、寢たふりをして、凝と耐忍をしてゐると、もう潮時だつたと見えて、好いあんばいに落付いて來た。

 眼が覺めると十月一日、秋雨が降つてゐる。生れたのは廿八日だとか廿九日だとかの晩だといふが、ともかくわたしの出生は十月一日になつてゐる。例年秋澄んだ空の、氣持ちの好い日和が多いのに、降つてゐるなと思ひながら、ぼんやり、床の中から庭の薄の穗の若いのに眼をやつてゐると、隣室では、赤のまんまに白味噌のおつけで、おめでたいことだと笑つてゐる。
 それは、長い病氣のあとの靜養期であつた主人が、思ひがけぬわたしの不時の失策で、朝の身じんまくも獨りでやつて見たし、御飯もひとりで食べて、他の介添も要らなかつたので、ニコニコしてゐるのだつた。そして主治醫の安田徳太郎博士の顏を見ると、
「あたしに友達がよこしてくれた漢藥を飮んで、効きすぎて、あすこに寢てゐる者があります。」
 といひつけてゐる。そして、わたしの方が診察をうけ、お腹に…

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