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佃のわたし
つくだのわたし
作品ID47637
著者長谷川 時雨
文字遣い旧字旧仮名
底本 「桃」 中央公論社
1939(昭和14)年2月10日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2009-03-06 / 2014-09-21
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

暗の夜更にひとりかへる渡し船、殘月のあしたに渡る夏の朝、雪の日、暴風雨の日、風趣はあつてもはなしはない。平日の並のはなしのひとつふたつが、手帳のはしに殘つてゐる。

 一日のはげしい勞働につかれて、機械が吐くやうな、重つくるしい煙りが、石川島の工場の烟突から立昇つてゐる。佃から出た渡船には、職工が多く乘つてゐる。築地の方から出たのには、佃島へかへる魚賣りが多い。よぼよぼしたお爺さんの蜆賣りと、十二三の腕白が隣りあつて、笊と笊をならべ、天秤棒を組あはせてゐたが、お爺さんが小僧の、不正な桝を見つけたのがはじまりで、
 こんな狡いことをしてゐる、よく花客が知らずにゐるな、と言つた。
 俺は山盛りに賣るからよ、爺さんはどうする、と小僧は面白さうにきいた。
 俺か、俺は桝に一ぱいならして賣るのよ。
 へん、客がよろこぶめい。賣れるか。
 賣れねえ。
 乘りあひの者は一時に笑つた、例の通り船頭が口をだした。
 小僧、三十錢から賣つたつて、家へは二十錢も、もつてけへるめい、なあよ。
 それはいけねえ。家で母親が當にしてゐるのだから、ちやんと持つてかへつて、二錢でも三錢でも氣もちよくもらへ、と、おぢいさんは首をふつた。
 十五錢もありや母親は好いのよ。十錢買喰ひをしても、よけいに取れるから割が好いやな、と、も一人の船頭が言つた。
 二錢ばかしの小遣なら、爺さんのやうに十錢も稼いでおかあ、なあよ。
 違ひない、と皆はまた笑つた。小僧は笊に殘つてゐたすこしばかりの蜆を、河の中へ底を叩いてあけてしまつた。お爺さんは掌に河水をすくつて、笊の底に乾ききつてゐる貝へかけてゐる。傍の若い者が調戲つて、
 爺さんなよく毎日殘つてゐるな、もう腐つてゐるだらう。河の中へ歸しておけよ、勿體ねえぢや困るぜ、と

 鰯がはいつて來たな、と沖からはいつて來る漁船を見て、一人が言つた。
 兄い、寺は何處だい、御苦勞だな、と棹をいれながら、船頭が挨拶をした。
 寺つて言へばよ、をかしいことがあるのよ、坊主なんて辛いことをするぜ、尤も俺達も亂暴にや違ひないが、去年よ小石川の寺院でよ、初さんところの葬式の來るのが遲れたのでな、前へ行つてゐた者が、一盃やり始めたのよ、すると誰かが外で、其處いらには珍らしい新らしい鰯を、見つけたといつて買つて來たのよ、買つてくる奴も奴ぢやねえか、一盃機嫌だから、御本堂も何もあるものか、よからうと言ふので燒出したのよ、すると和尚め、よい匂ひですな、なんてやつて來やがつて、旨い漬物を出してよ、よろしければおかはりをなさいましと來たのだ、どうです和尚さん御一緒になつては、と言ふとな、結構ですと言やがるんだ、厭になつちまふぢやねえか、其處ですつかり仲間になつてやつてしまふとな、佛を持つて來たのだらう、すると皆が妙だ。妙だ、變な匂ひがするつて、ヘツ、する筈だあな、線香で鰯の匂ひを消さうと思…

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