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東京に生れて
とうきょうにうまれて
作品ID47639
著者長谷川 時雨
文字遣い旧字旧仮名
底本 「随筆 きもの」 実業之日本社
1939(昭和14)年10月20日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2008-12-31 / 2014-09-21
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 大東京の魅力に引かれ、すつかり心醉しながら、郷里の風光に思ひのおよぼすときになると、東京をみそくそにけなしつける人がある。どうもそんな時はしかたがないから、默つて、おこがましいが、土地ツ子の代表なやうに拜聽してゐる。
 大震災のあとであつた、ある劇作家が言つた。
「東京つて、起伏をもつてゐる好いところだ。昔は、さぞ好い景色だつたらう。」
 言葉は違ふかもしれないが、さういふ意味だつた。私も同感の微笑を送つた。
 もとより褒めたのは、江戸開府以前の武藏野の原のつづきの、廣大な眺めを思つたのであつたらう。それは雄渾でもあれば、また優しく明美でもあつたのだ。富士は何處からも見られ、秩父や、箱根の連山は遠く、欅の巨樹のつらなる丘の裾は、多摩や荒川の清流が貫ぬき、月は、草よりいでて草に入る、はては、ささら波の寄せる海となり、安房上總は翠波と浮んで、一方下總の洲は、蘆荻が手招ぎしてゐる。
 が、その太古のままの姿が、蝕つくひのやうに、小市街の群立しなかつたところに、江戸の好さはある。その草を敷き伏せ、まだせましとして、海のなかまで埋めて住んだ、江戸當初の者は大變進出的だ。彼等は安心な高臺の方に、巨樹を薙ぎ倒して住まはずに、海のなかの方へ、外へ外へとむかつて進出してゐる。その、荒つぽさが新興都市江戸の生命だつたのだ。
 その、進取的な都會が、大日本帝都になつたのだから、展びるだけはのびて、ずつと後の方の丘も平らされてゐる。眞に目ざましい發展だ。そして、まだ發展過程にある、ちぐはぐなところを見ると、東京の釀しいだす魅力を愛すれば愛するものほど、ちよいと惡口が言ひたくなるのであらう。不足も述べたくなるのであらうが、その不足が歐米の何層樓かの建築物などをもつて來て、人工的なものにくらべないで、自分たちの郷里のものに引きくらべるところが、實に、實に、好い人たち、大きくいへば、日本の根の人たち、大東京を建設る人たちなのだ。
 建築なら、新しい設計で、歐米のものよりもつとよいのが出來るといふ自信があるから焦りはしない。その人たちが惜しむのは自然の姿の破されることで、そのしほらしい愛惜の念は、江戸の昔に名殘をとどめてゐた水郷ふうの田園風景が、東京の發揚にしたがひ、爛熟した江戸情緒の失はれるのとともにほろびて消えてしまふのを、惜しむのと似た氣持ちだが、さうした牧歌的なものをこの近代都市の中から、異つたかたちでめつけだしてゆくのも面白いことであれば、廣くいへば、それらは都會の外に求むべきもので、田園の故郷を、この都のなかの隨所に、殘存させようといふのが無理なのだ。
 だが、大都會となればなるだけ、緑地帶はほしい。公園は多趣多樣なのが澤山ほしい。高松宮家より頂いた麻布の公園や、井の頭の恩賜公園や上野や芝など、どうかあんまりもとの自然を損じないでその土地の、古昔のままの樹木や、土の起伏を保存…

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