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夏の女
なつのおんな |
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作品ID | 47640 |
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著者 | 長谷川 時雨 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「随筆 きもの」 実業之日本社 1939(昭和14)年10月20日 |
初出 | 「週刊朝日」1922(大正11)年 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 仙酔ゑびす |
公開 / 更新 | 2009-02-20 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 7 ページ(500字/頁で計算) |
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一夏、そのころ在阪の秋江氏から、なるみの浴衣の江戸もよいが、上布を着た上方の女の夏姿をよりよしと思ふといふ葉書が來たことがある。ふといま、そのことを思ひだした。
上布には、くつきりした頸あし、むつちりした乳房のあたりの豐けさをおもはされる。落附いた御内室さんである。なるみの浴衣は洗ひがみの、脊のすらりとした、といつて、お尻に女らしい艶やかさをうしなはない、なで肩を思はせる。前の女は、すこしばかり耳が肉ついてゐても目立たないが、後のは、あんまり大きかつたり、平べつたかつたり、ひつついた貧弱なのだつたりしては困る。花片の散りたてのやうな清新さが耳になくてはならない。鼻には神經が見える女でも、とかく耳は留守のことが多い。生きてゐない。
男の耳はかくされる事がなくて續いて來たせゐか生々としてゐる。それが、どんな老爺さんでも、大きすぎても、厚つべつたくても、顏とおなじ調子に呼吸をしてゐる。まして若い男のは生々と動き働きかける。
耳が動くといふと猫のやうだと、若い少女は笑つてしまふかもしれなが[#「しれなが」はママ]、鬢でかくして來たくせがついて、とかく女の耳は愚圖つたらしい。大切なところであつて、その耳朶は美容にも關係するのに、晩には卷いて寢るリボン一本よりもおろそかにされはしないだらうか。
男でも女でも耳朶が赤く匂つて透いて見える時は、その人の容貌よりも、美しく目をひくことがある。むかしの女は、上布の女でもなるみの浴衣でも、その點におろそかでなかつたやうである。無論足も綺麗に、指の爪もいふまでもなく氣をつけた。
上布を着た女は、あたしの邊りにも澤山ある。それなのに、どうした事かとかく連想は近松の「心中宵庚申」の、八百屋の嫁御お千代のところへ走つてゆく。お千代ひとりが着たかのやうに――
よく思へば、八百屋の嫁御風情が、ふだん着にぞべらとしてゐたかどうかさへわからないのだが、お千代の、色の白い、ぽつてりとした、滴るやうな、女盛りの體に、紅の襟うらの透いた紺かたびらは、ほのぐらい店の隅の青物と、行燈の光りとに和して、なまめかしい匂ひがただよつてくる。堅油に艶をだした島田くづし、鼈甲の笄に白丈長――そこまでも見えてくると、彼女には、笑ふと絲切り齒が見えて、ちよいと片靨さへあつたやうに思はれる。柔かい肉附きにうるほひのある、夫半兵衞の目からばかりでなく、此世にはおいてゆきにくい手ざはりを感じさせる。姑の妬氣も、ただそれだけの感觸からだけでもあつたらうとうなづかされもする。
帶のしめかたを、堅くもなくゆるくもなく、崩れさうには見えずにコチコチとさせず、褄もゆるやかでありながら、見る目はづかしいほどに蹴出しもせず、日傘を斜めにすらりと立つたかたびらの女、金魚鉢をかきまはさうとする乳のみ子を片手に仰向いて、話しかけながら鬢の櫛をさしこんでゐる女――かたびらは、…