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町の踊り場
まちのおどりば
作品ID4765
著者徳田 秋声
文字遣い新字旧仮名
底本 「現代文学大系 11 徳田秋声集」 筑摩書房
1965(昭和40)年5月10日
初出「経済往来」1933(昭和8)年3月
入力者高柳典子
校正者土屋隆
公開 / 更新2007-06-08 / 2014-09-21
長さの目安約 19 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 夏のことなので、何か涼しい着物を用意すればよかつたのだが、私は紋附が嫌ひなので、葬礼などには大抵洋服で出かけることにしてゐた。紋附は何か槍だの弓だの、それから封建時代の祖先を思はせる。それに、和服は何かべらべらしてゐて、体にしつくり来ないし、気持までがルウズになるうへに、ひどく手数のかゝる服装でもある。
 それなら洋服が整つてゐるかといふと、さうも行かなかつた。古い型のモオニングの上衣は兎に角、ズボンがひどく窮屈であつた。そこで私はカシミヤの上衣に、春頃新調の冬ズボンをはいて、モオニングの上衣だけを、着換への和服と一緒に古いスウトケースに詰めた。私は田舎の姉が危篤だといふ電報を受取つて、息のあるうちに言葉を交したいと思つたのである。さういふことでもなければ、帰る機縁の殆んどなくなつた私の故郷であつた。
 駅へついてみて、私は長野か小諸か、どこかあの辺を通過してゐる夜中に、姉は彼女の七十年の生涯に終りを告げたことを知つた。多分私はその頃――それは上野駅で彼女と子供に見送られた時から目についてゐたのだが、或る雑種じみた脊の高い紳士と、今一人は肉のぼちや/\した、脊の低い、これも後向きで顔を見なかつたから日本人か何うかも分明でない、しかし少くとも白人ではなかつた紳士と、絶えず滑らかな英語で、間断なく饒舌りつゞけてゐたのだが、軽井沢でおりてから、四辺の遽かに静かになつた客車のなかで、姉のまだ若い時分――私がその肌に負さつてゐた頃から、町で評判であつた美しい花嫁時代、それからだん/\生活に直面して来て、長いあひだ彼此三十年ものあひだ、……遠い国の礦山に用度掛りとして働いてゐた夫の留守をして、さゝやかな葉茶屋の店を支へながら、幾人もの子供達を育てて来て、その夫との最近の十年ばかりの同棲生活が、去年夫との死別によつて、終りを告げる迄の、人間苦の生活を、風にけし飛んだ雲のやうに思ひ浮べてゐた。最近一つの絆となつてしまつた彼女の将来を何うしようかといふことが、その間も気にかゝつてゐたには違ひなかつた。
 その日は閑散であつた。私は薄い筒袖の単衣もので、姉の死体の横はつてゐる仏間で、私のちよつと上の兄と、久しぶりで顔を合せたり、姉が懇意にしてゐた尼さんの若いお弟子さんや、光瑞師や、まだ大学にゐる現在の若い法主のことをよく知つてゐる、話の面白いお坊さんのお経を聴いたりしてゐるうちに、夕風がそよいで来た。弔問客は引つきりなしにやつて来た。花や水菓子が、狭い部屋の縁側にいつぱいになつた。
 私は足が痛くなつて来たが、空腹も感じてきた。しかしこゝでは信心が堅いので、晩飯には腥いものを、口にする訳にいかなかつた。
「何とかしませう。」甥は言つたけれど、当惑の色は隠せなかつた。
「今年はまだ鮎をたべない。鮎を食べさせるところはないだらうか。」私は二階で外出着に着かへながらきいた。
「それ…

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