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作品ID47655
著者長谷川 時雨
文字遣い旧字旧仮名
底本 「桃」 中央公論社
1939(昭和14)年2月10日
初出今朝「令女界」1936(昭和11)年4月1日、昨今「文藝懇話會」1937(昭和12)年3月、ブルー・パイ「モダン日本」1937(昭和12)年7月1日、男に生れるのなら「現代」1933(昭和8)年3月
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2009-02-20 / 2014-09-21
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

     今朝

 昨夜、空を通つた、足の早い風は、いま何處を吹いてゐるか! あの風は、殘つてゐたふゆを浚つて去つて、春の來た今朝は、誰もが陽氣だ。おしやべりは小禽ばかりではない。臺所の水道もザアザア音をたて、猫はしきりにおしやれをしてゐる。
 町では煙草のけむりが鼻をかすめ、珈琲が香ばしく、電車のレールは銀のやうに光り、オフイスの窓硝子は光線を反映し、工場の機械はカタンカタン響々と、規則正しく[#挿絵]つてゐる。
 朝はまだバスの女車掌さんにも勞れは見えないし、少年工も口笛を吹いて、シエパードを呼ぶ坊ちやんに劣らぬ誇りを生産に持つ。
 春の新潮に乘つてくる魚鱗のやうな生々した少女は、その日の目覺めに、光りを透して見たコツプの水を底までのんで、息を一ぱいに、噴水の霧のやうな、五彩の虹を、四邊にフツと吹いたらう――
(「令女界」昭和十一年四月一日)

     昨今

 長く病らつてゐる人が、庭へ出られるころには、櫻花も咲かうかと思つてゐると、この冷氣だ。
 だが、庭へおろしておく椅子などを、物置から出さしてゐるのなどは樂しい。風は寒くても、さすがに陽光は春だ。
 マルセル・プルウストの「音樂を聽く家族」といふのを、譯者の山内義雄氏から貰つたので、その椅子に腰をおろして、ちよいとの間を盜んで頁を斷ると「テュイルリイ」といふ章に、
今朝、テュイルリイの庭の中、太陽は、ふとした影の落ちるのにも忽ち假睡の夢やぶられる金髮の少年といつたやうに、石の階段の一つびとつのうへに輕い眠りを貪つてゐた――
 といふ書出しを見て、幾度も讀みかへす。なんともいへず氣に入つたのだ。
 それにも負けずに、この頃あたしの、心の隅つこの方に住んでゐる、夕暮の歌がある。一ツは、サッフオの「夕づつの清光を歌ひて」といふ三行詩だ。
汝は晨朝の蒔き散らしたるものをあつむ。
羊を集め、山羊を集め、
母の懷に稚子を歸す。
 といふのと、アンリ・ド・レニエの「銘文」といふ、これも三行の詩で、
あな、あはれ、きのふゆゑ、夕暮悲し
あな、あはれ、あすゆゑに、夕暮苦し
あな、あはれ、身のゆゑに、夕暮重し
 共に、上田敏氏の譯である。
 私はロシアといふ國のことを、種々に聽いてゐるが、その自然に對して、改造四月號の、横光利一氏の「半球日記」に書かれた、あの單純な、あの、無造作に見えるほどの表現によつて、草、草、草と、茫々した天地、悠久たる草原をともに見るの思ひがした。
 ――私は線路の傍に細々とついてゐる一條の路を眺め、ここをドストエフスキーが橇に乘つて流されて來たのかと見詰めてゐるばかりだ。
 とあるところでは、わたくしも、びつくりと見詰めてゐるばかりの氣がした。
 ――ほのぼの朝日がさして來る――
 といふ大平原の、
 ――樹木が一本もない。見る限り黄色な草で蔽はれた柔く低い山々の重なり、明るい光線、雲の流…

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