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チビの魂
チビのたましい
作品ID4766
著者徳田 秋声
文字遣い新字旧仮名
底本 「現代文学大系 11 徳田秋声集」 筑摩書房
1965(昭和40)年5月10日
初出「改造」1935(昭和10)年6月
入力者高柳典子
校正者土屋隆
公開 / 更新2007-06-05 / 2014-09-21
長さの目安約 31 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 彼女も亦人並みに――或ひはそれ以上に本能的な母性愛をもつてゐた。間歇的ではあつたが、五年も六年も商売をしてゐたお蔭で、妊娠の可能率が少ないだけに、尚更ら何か奇蹟のやうに思へる人の妊娠が羨ましかつたり、子持の女が、子をもつた経験のないものには迚も想像できない幸福ものであるやうに思へたりしてならないのであつた。子供といへば豕の仔でも好きな彼女であつたので、散歩の途中犬屋の店で犬の子が目につくと、何をおいても側へ寄つて、本当に可愛ゆくて為方がないやうに見てゐるのだし、町の店屋などで綺麗な猫が見つかると、そこで余計な買ひものをしたりして、それは其の場きりのものだけれど、その子供を貰ふ予約をしたりするくらゐだつたから、母親に手を引かれて行く子供を看ると、別にそれが綺麗な子でなくても、ぽちや/\肥つてさへゐれば、蓮見に何とか話しかけて振顧るのであつた。
「あたい一度子供産んでみたい。」
「いや、真平だ。」
「療治すれば出来るといふわ、森元さんが……。」
「その時は相手をかへなけあ。」
 子供が産めない躯だといつてゐた蓮見の死んだ妻は、こんなに沢山の子供を次ぎ次ぎに産みのこして、大きくなつてしまへば、経済や何かの問題は兎に角として、感情のうへでは別に何でもないやうなものの、人の赤ん坊を見てさへ、彼はうんざりするのであつた。それに生きてゐるうちに、子供の一人々々は何とか片が着かなければならないのが、普通人間の本能であるらしかつた。子供の運命が自身の寿命と生活力の届かないところへ喰み出ることは、誰しも苦痛であつた。母性愛はそれに比べると動物的なものらしいのであつた。
 兎に角圭子は一人の子供をもらふことにしてしまつた。それはちやうど猫の仔か何かを貰ふやうに、いとも手軽なものであつた。

 或日の夜彼はポオトフォリオをさげて入つて行くと、その女の子が皆んなと瀬戸の火鉢に当つてゐた。年は十だといふのであつた。色の浅黒い――と言つても余り光沢のある皮膚ではなかつた。細い額に髪がふさ/\垂れさがつて、頬が脹らんでゐるので、ちよつと四角張つたやうな輪廓だが、鼻梁が削げて、唇が厚手に出来てゐる外は、別に大して手落ちはなかつたし、ぱつちりはしないが、目も切れ長で、感じは悪くなかつた。虫歯の歯並が悪い口元に笑ふと愛嬌があつた。どこか男の子のやうで、少ししや嗄れたやうな声も大人のやうに太かつた。余り小綺麗でないメリンスの綿入れに、なよ/\の兵児帯をしめて、躯も小さいことはなかつた。
「今までどこにゐたの。」
「あたい? お父ちやんとこにゐたんです。」
「お父ちやん何してゐるんだい。」
「お父ちやんね、おでんやしてんだけど、体が悪いんです。」
「お母さんは?」
「お母ちやん私の三つの時死んだんです。」
 蓮見は昨日圭子から聞いて、この子の生立や環境について一ト通りの予備知識をもつてゐたが、身装…

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