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洲崎の印象
すざきのいんしょう
作品ID47709
著者木村 荘八
文字遣い新字旧仮名
底本 「東京の風俗」 冨山房百科文庫、冨山房
1978(昭和53)年3月29日
入力者門田裕志
校正者伊藤時也
公開 / 更新2009-01-17 / 2014-09-21
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 東京の中は何処も大抵知つてゐるつもりでゐたけれども、燈台もと暗し、洲崎をろくに知らずにゐたことを最近になつて気が付いた。その洲崎へ行つて見て初めて、こんな特殊なところを、今まで殆んど知らずにゐたかと、迂遠に心付いたわけだ。
 ――尤も洲崎の概念なり地形等々は子供の頃から聞きおぼえてよく知つてゐる。洲崎と云へば津浪、大八幡楼、広重の絵の十万坪(名所江戸百景の内)と、よく知つてゐる。写生画では小林清親や井上安治の木版画でその昔の有様をとうからなじみだし……却つてその為めに、今日まで実体は知らずにゐても気に留めずにゐたものだらう。地域のせゐでアヴァンテュールには縁無く過ぎた土地だ。
 二三日前八丁堀まで写生の用があつて行つた序でに、そろそろ日の暮れ方であつたが、思ひ立つて洲崎まで足をのばして見た。そして車を「こゝが遊廓の入口だ」といふところで下りて見ると、相当幅の広い橋があつて、俄然としてその先きの行手に娼家の一劃が展ける。通りの真中に打渡したコンクリートの道幅が大層広く、その両側の、娼家の造りをした家並みが、また大層低く比較的暗い。そのくせ惻々として町全体に物憂いやうな、打つちやりはなしたやうな、無言のエロティシズムが充満してゐる。それが吉原や新宿あたりのやうにぱつとしたものでないだけ――丁度空も暗くどんよりとした日の、この町にはそれが誂へ向きのバックだらう――一層陰々として真実めいた色街の景色だつた。
 これが第一印象だつたのである。
 洲崎の大門であらう。別に門の体裁は成してゐないけれども、とに角大門と称し得る標識塔がそこに左右一対に建つてゐて、鋳物であるが古風な、先づその右手の塔の表面に浮彫の文字がかなりの大字で「花迎喜気皆知笑」としてある。いふまでもなく左手の方とつゞいて一聯を成すものに違ひない。道路をわたつて左手へ行つて見ると果して、「鳥識歓心無解歌」としてあつた。裏面を見ると「明治四十一年十二月建」と打出してある。
[#挿絵]
洲崎遊廓門柱

 夜目で審さにはわからなかつたし、格別にも注意しなかつたが、とに角これは明治のカナモノ細工の一つで、その末期のものとはいつても、今となれば存外そのアラベスクなぞも時代の風味のある少数の遺存物に当るだらう。
 ――それよりもぼくは、この洲崎のカナモノを見ると同時に、同じものでも吉原の大門の明治味感を直ぐさま思ひ出してゐた。震災の当時たれだつたか名のきこえた人が真先きにあの破片をかつぎ出した(?)とか聞いたし、近頃の消息ではまた、残片を時節がらツブシに出したとも聞いたやうだ。これは元来ちやんとアーチ形の「門」になつてゐたもので、作も却々良く、龍宮の乙姫様がアーチの弓形の真中に立つて夜空に電球を捧げてゐたのをおぼえてゐる。これは文献で見ると明治十四年の作とあるもので、
「総て鉄にして永瀬正吉氏の作に係る。両柱に左の…

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