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東京の風俗 序
とうきょうのふうぞく じょ
作品ID47729
著者木村 荘八
文字遣い新字旧仮名
底本 「東京の風俗」 冨山房百科文庫、冨山房
1978(昭和53)年3月29日
入力者門田裕志
校正者伊藤時也
公開 / 更新2009-01-01 / 2014-09-21
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

「東京の風俗」といふ題名のもとに初めから一冊の本を書いたとすれば、又現在の本とは違つたものになつてゐたかと思はれますが、今全編の校正を終つて「東京の風俗」一本としてこの本を見ますと、題名に不釣合ひのものにはなつてゐなかつたことを感じます。
 この本の中の特に「東京の風俗」と大見出しにした節から成る書きものは、元「東京遠近」と題して週刊ものにつづけた文章です。
 東京遠近といふ言葉は生硬で意味の通りにくいことを恐れて、東京の風俗とし、それをそのままこの本全体の命題としました。
「東京遠近」とは、東京を広く一般にバーズ・アイ・ビューで見るとは反対に、狭からうとも竪になるべく深くパースペクティーヴに依つて見るといふ程の意味で、この生硬な題名は取りやめましたけれど、この一本を貫く――これが材料の「東京」に対する――著者の態度なり見方は、ひつきやう「東京遠近」式に変化ないでせう。
 この本には最近はつい今しがた書きたてのものから、最も古くは――例へば「浴衣」(大正十三年)のものまでが採録されてゐますが、著者としての立場なり、考へには別段大変化はありません。終始一貫して私は東京を愛します。「愛します」とその相手のモノを自分から離していはうよりも、終始一貫、このさなかにゐますので、東京を描いて、私には呼吸のつけるところはない。
 如何に破壊されようとも、よしんば悪化されようとも、そこに地息のやうなものがあつて、その中の虫のやうに、私は東京を呼吸して生きてゐると思ひます。こんどの戦争で――(東京もメチヤメチヤになつた一つですけれど)――跡形もなくやられた土地々々の人が、しかも、硝煙がはれて見ると、依然としてその跡形もなくなつた中にいつか返つてゐて、「何が良いのだらう?」と人をいぶからせた話は、至るところで聞きましたが、私も私の土地についてさうだと思ひます。これは理屈ではありません。空気だと答へたい。
「東京」といつたところで真の東京が果してどんなものか、それが何処まであるかないか……わかつたものでありませんし、東京はわるい汚ないところであつて、時と共に益々わるく汚なくならうとも善化される手はない。その理由はこれこれだと聞きますと、私は、その一々に対して同感出来ます。寧ろ東京の「善口」よりは「悪口」に対して常によく同感出来るでせう。
 それは土地に対してのみならず「人」についても同様です。
 反対に東京以外の地域に対しては――よく知らないせゐもありませうが――逆に「悪口」はただ「さうかなア」と思ふ程度で聞いてゐながら、「善口」は「全くさうだなア」程度に事新しく感じます。京都の如き区域の地は雅びて感じますし、奈良はさびて町の一筋でも心涼しく感じます。東京のやうに紙屑籠を、又は玩具箱を引つくり返したやうな殺風景な土地は、何処へ行つてもあらうと思へない。これを貶すについては、人後に…

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