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花火の夢
はなびのゆめ
作品ID47730
著者木村 荘八
文字遣い新字旧仮名
底本 「東京の風俗」 冨山房百科文庫、冨山房
1978(昭和53)年3月29日
入力者門田裕志
校正者伊藤時也
公開 / 更新2009-01-22 / 2014-09-21
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 花火で忘られない記憶は、私の家の屋根へ風船の付いた旗の落ちたことだ。「落ちてゐた」といつた方がいゝかもしれない。旗はガンピの日章旗で、畳三畳敷位ゐの大きさであつたらう。これに相当大きな風船と、細長く紙を幾重にもたゝんで出来た旗竿が付いてゐた。旗竿の部分には鉛がところどころに綴込んであつた。――これが私の見てゐる前で、私の家の屋根瓦へすれすれについて、くにやりと曲がつた時には、私はその一端をしつかとつかまへて、有頂天になつた。あれ程純粋に嬉しかつた「嬉しさ」は、ジンセイに余り類の無いものかもしれない。
 私は両国の花火は子供の頃ずつとそのすぐそばにゐたので、却つて船で見たことはない。よく「ズドン、バリバリ」といふことをいふが、すぐそばで揚がる花火はこの言葉の通りで、殊に、あとの「バリバリ」が爽快を極める。火薬の破裂音が空に反響して、これが上から手をひろげて掴むやうに二三町四方の真下の町へ蔽ひかぶさるためであらう。毎年花火の日は、昼間、第一発の、この「バリバリ」が始まつたが最後、もう、ゐても立つてもゐられない。――一度は(ぼくは幼年のことだつたが)川は花火の真最中に、両国橋の欄干が落ちて、家では兄貴の安否を気づかつて大変だつたといふことだが、兄貴はその時、外にはゐたが、橋にはゐず、大川端の水練場にゐたので無事だつた。
 ぼくは寧ろその日の騒ぎよりは、その明くる日の両国橋の事を覚えてゐる。多分ひとに連れられて見に行つたものだらう。橋際の川の中の砂の出た処に、下駄や草履が一杯、山になつてゐた。
 船で大川の花火を見たのは、却つて土地を離れてから、或る年、本郷からわざわざ花火見物に出かけた時だ、しかしこれは面白くなかつた。さすがに互ひに川の中は近いので、花火のしまひに、それが吉例の、火筒の船の人達が、とんと、西洋の画にある悪魔のやうに、船べりでぴよんぴよん踊つて、ばしやんばしやん川の中へ飛込む。――この有様はよく見えて奇観だつたが、いざ花火もしまつて、帰るとなると、四方八方、川の中は船だらけで、当分動けない。あたりは段々に灯も消えて寂しくなるし、陸の人達はぞろぞろ思ひ思ひの方角へ退散する、その「陸」が直ぐそこに見えてゐながら、船は川の中に釘付けで動けず、ちよつとやそつとの事には家へ帰れないのである。
 花火は船では見るものでないとつくづく後悔した。小さな猪牙船に行燈をのせたうろうろ船が、こゝぞとばかり釘付けになり合つた見物人の船々の間を敏捷に漕ぎ廻つて、あきなひする。その川風の中でラムネを抜くスポン!といふ音などは悪くないものだが、うろうろ船の品物は、するめ、西瓜、まくはうり、枝豆、ビール、飴湯など。「うろうろ船」の名は、川の中をうろうろするからといふのと、「売らう売らう」から来てゐる、といふのと二説あるやうだ。
 花火ではぼくは最後の打止めに揚がる虎の尾といふのが…

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