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吉原ハネ橋考
よしわらハネばしこう |
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作品ID | 47735 |
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著者 | 木村 荘八 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「東京の風俗」 冨山房百科文庫、冨山房 1978(昭和53)年3月29日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 伊藤時也 |
公開 / 更新 | 2009-01-17 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 6 ページ(500字/頁で計算) |
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山川秀峰 大兄
この便遅延失礼。矢来町より御指図につき早速ハネ橋について誌します。実はぼくの見おぼえだけでは昔のことでもあるし危険と考へ、今日実地見聞をなし、土地の人にも聞いて、大体自信がつきました。
さて、ハネ橋といつぱ――
垢ぬけのせし三十あまりの年増、小ざつぱりとせし唐棧ぞろひに紺足袋はきて、雪駄ちやらちやら忙しげに横抱きの小包は問はでもしるし、茶屋の棧橋とんと沙汰して、廻り遠やこゝからあげまする、誂へものの仕事やさんとこのあたりに言ふぞかし……
これは一葉のたけくらべの本文で、文中の「茶屋の棧橋とんと沙汰して」とあるのが問題のものです。御承知の(といつてはシツレイかどうか)大門を入つて左右の太い斜線が引手茶屋なれども、これへのハネバシは大門外の左右の太線(第一図)の位置からつくといふことになります。廓はそのぐるりを大溝で囲つてゐました。この溝にハネバシがあつたわけで、ぼくの今日の見聞はa―b―c―dと歩いたのです。dはおとりさまです。
[#挿絵]
昔いろはの第九支店(浅草区地方今戸町九十三番地)が×の位置にあつた。そのころ△位置あたりのチヤチなはねばしをぼくは知つてゐたのでしたが、それはほとんどドブのふたの如く、長さも短かくて面白くありません。思ふにハネバシとしては、これはすでに末期症状のものでしたらう。
はねバシらしいはねバシは、所詮一葉ゑがくところの、大音寺前寄りの方でせう、こゝは(b―c)今行つてもそゞろに地形でわかるが道路から家へと一たん土台が石垣積みになつてゐて、石垣の高さはぼくのせい位あります。といふのが廓の内外へかけてこゝに截然と段階があつたので、この下のさかひのところを、水が流れてゐたわけです。(今はコンクリートですつかり埋めてあつて、この上をわれわれが歩いてゐるのです)
此の土地に深い(おとり様の境内に父祖数代住んでゐる)谷古さんといふ人からいつぞやきいた処では、この溝川(即ちはねバシかゝる処)が昔は幅九尺もあつた、それで、廓内から一たん水中へさんばしやうのものを出しつゝその先へハネバシ(板)をかけて、向うへとゞかせたもので、岸はシガラミだつたとのこと。
遠見はタンボ。却々風情のあつたものだといふことです。
図のやうなものでせう。(第二図)
[#挿絵]
ところが、星移り月変るうちにですな、廓が段々段々とこの溝川を侵蝕して膨脹し、流れを狭くしたといふのです。今日土地のとしよりに聞いたところでは、a―b―c約一間ぐらゐの流れだつたとのことです。
この通りに小態な額縁屋があつたので、そこの老人に聞きました。六十以上と見える人。わざわざ額縁を一つ買つたから、モトデがかゝつてゐるわけ也。打見たる処この界隈の家々の背は、家と家のしや合ひの木戸から段々にて今でもまるで川へ下るが如き仕組にしてあるものもあれば、(恐らくこれは…