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丸の内
まるのうち
作品ID47742
著者高浜 虚子
文字遣い新字新仮名
底本 「大東京繁昌記」 毎日新聞社
1999(平成11)年5月15日
初出「東京日日新聞」1927(昭和2)年3月15日~31日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2010-01-13 / 2014-09-21
長さの目安約 47 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

ドンが鳴ると

 震災ずっと以前のことであった。今はもう昔がたりになったが、あの小さい劇場の有楽座が建ったはじめに、表に勘亭流の字で書かれた有楽座という小さい漆塗りの看板が掛っていたのに、私は奇異の眼をみはった事があった。この有楽座というのは、その頃はまだ珍しい純洋式の建築であった。どこを探しても和臭というものはなかったが、独りこの勘亭流の字だけに従来の芝居の名残をとどめていた。私は暫くその勘亭流の字を眺めていたが、やがて心の中でこう思った。これが奇異に私の眼にうつるのはホンの少しの間であろう。この不調和はすぐ時が調和する、時の流れはどんな不調和に感ずるものでもきっと調和させずにはおかないと。
 帝劇の屋根の上に翁の像が突っ立っていたのも同様であった。(震災前)はじめは何だか突飛な感じがしたがしかし直ぐ眼に馴れた。汽車の中から見るときでも、多くの直線的なルーフの中に独りこのまんまるこい翁の立像を見るときに、私の心は軟かになるのを覚えた。はじめ奇異に思った感じは、時の過ぎ行くと共に取り去られて、後には不調和どころか調和しきって何の不思議も感じない様になった。
 丸ビルは建った当時はすばらしく大きな洋式な建物が東京駅前に建ったという感じがした。私はまだ建ち終らないうちからホトトギス発行所にその一室を契約した。そうしたら周囲のものが笑って
「和服に靴ですか。そろ/\あなたも洋服を著なければならないですね。」といった。私は学校時代に洋服を著たほか、一度も洋服を著たことはなかった。
「ナーニ和服で結構だ。」といったが、心ひそかに危ぶんでいた。
 出来上っていよ/\ホトトギス発行所をこの丸ビルに移転することになった。下駄は雪駄に替えた。それに下足預り所の設備があった。雨の降る日は下駄を上草履に替えた。少しも不便を感じなかった。しかし和服のものは極めて少なかった。現に極めて少ない。何だかはじめの間は私自身が不調和に感じた。しかし今は何とも思わない。
 私自身が何とも思わないばかりか、周囲の人も何とも思わない。(であろうと想像しておる)
 そればかりか、春先や秋口になると、田舎の爺さま媼さま連中が丸ビル見物にくる。まずエレベーターの前に立って、
「あら上るだ、上るだ。」と傍若無人に口を開けて見ておる。やがて一つ自分も上って見ようと恐る恐る足駄をふみ入れると
「下駄の方は草履にお替え下さい。」と剣突を食う。何のことかわからず、暫くの間その辺をまごまごしている。こういう連中さえもこの頃では別に不調和な訪問者とも思わなくなった。
 ドンがなると丸ビルの各事務所から下の食堂めがけて行く人は大変なものである。各エレベーターはことごとく満員で、そのエレベーターが吐き出す人数は、下の十字路を通る群衆の中になだれ込んで、肩摩轂撃の修羅場を現出する。これは少し仰山な言葉かも知れんが、兎に角大…

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