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東京万花鏡
とうきょうまんげきょう
作品ID47774
著者正岡 容
文字遣い新字旧仮名
底本 「東京恋慕帖」 ちくま学芸文庫、筑摩書房
2004(平成16)年10月10日
入力者門田裕志
校正者酒井和郎
公開 / 更新2016-03-07 / 2015-12-24
長さの目安約 13 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

わが川柳素描

 省線浅草橋駅歩廊の外側には、このほど穴だらけの焼トタン一めんに貼りめぐらされてゐるが、その南側の方の、なるほどすぐ目の前にはハッキリと両国橋の見られさうな小さな焼穴の上へ、幼稚な白墨の字で、
「ココカラ両国見エル」
と落書してある。微笑ましいおもひで私は、ふつとその少うし隣りの穴の上を見たら、なんとそこにはまた、明らかに別人の手で、
「ココカラハ両国見エナイ」
 盲落語家小せんの「五人廻し」中には、妓楼の廻し部屋の壁へ「東京駅カラ下ノ関迄ノ急行列車ノ上リ高ヲミンナ貰ヒ度イ」と云ふ落書のあるすぐそのあとへ「僕も同感」とかいた奴がある云々のギヤグがあつたが、私はその諧謔の単なる一落語家の空想ならず、坊間、稀には実見さるるところの滑稽であることを感じると同時に険しい敗戦後の今日に於ても、未だ未だ東京市井の住民の中には八笑人和合人の精神を身に付けてゐるもののあることを思考して頗るたのもしくおもはないわけには行かなかつた。
 嘗て小石川の豊阪とて、早稲田を目白台へ上る急坂の半の石垣には、
「ペンキヤ休ム」
と先づペンキ屋商売物のペンキでかうかきのこしてあるその隣りへ今度はブリキ屋がコールタで、
「ブリキヤ休ム」
とかかれてゐたが、此又、前記の浅草橋駅や小せん落語中の落書詩人たちと殆んどその軌を一にするものと云へよう。
 斎藤緑雨が「ひかへ帳」には「唆かされしときけば、罪も浅し謙倉なる桶屋の房といへるが戸口にF・OKE」、また「日用帳」には「ここらの人の万葉仮名を得読まぬにつけ入つて、罪深き悪戯を誰が為せるものか。武州は高尾道なる或神社の奉納額に、抒自等抒自奈良努家宇良太(どぢとどぢならぬけうらだ)」も亦、同系列の微笑ましい実話たること、論を俟たない。
 さはさりながら、かかるユーモラスな郷土東京の市井風景を活写するには、其角抱一万太郎龍雨を宗とする江戸座俳諧を以てするよりも、さらにいま一歩をすすめて『柳多留』正系の川柳点こそ好適とかう考へたその日から、私は多年研鑽愛着の俳句の吟詠を全くに廃棄して、廿有余年振りで川柳の製作に精進するやうになつた。もちろん、昨春、私の江戸文学の恩師川柳久良伎翁を喪つて、直系本格川柳の廃滅を痛惜、その復興継承をおもひ立つに至つたことも亦決して原因でないとはいへまい。私の拙ない川柳詩は、到底宝暦明和の市井歓楽詩人の脚下へも及ぶまいが、近什の東京風俗詩とでも命名す可き左の拙吟を、笑覧に供して見よう。
 浅草 二句浅草 二句
天藤とかいてあん蜜売つてゐる
刺青のある復員で蟹を売り
交番のあとへ戦災一と世帯
焼出された鐘撞堂に住んでをり
 不忍池、田甫となる 二句
田植唄台湾館のあつたとこ
弁天を苗代水の手で拝み
 さらに出合茶屋の昔おもひて
不忍の昔は色気いま 喰気
敗戦のおかげ燈籠流しの灯
 盆おどり諸所にあり 二句
いくさな…

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