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作品ID | 47777 |
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著者 | 正岡 容 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「圓太郎馬車 正岡容寄席小説集」 河出文庫、河出書房新社 2007(平成19)年8月20日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 仙酔ゑびす |
公開 / 更新 | 2009-01-01 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 32 ページ(500字/頁で計算) |
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上
……つらつら考えてみると、こんな商売のくせに私はムッツリしてていったい、平常はあなたもご存じの通りに口が重たいほうなのに、しかもいたってそそっかしい。これはまあどういう生まれつきなんだろうと、ときどき情なくなることがありますが、ほんとにムッツリとそそっかしいんです。いつかも銭湯で帽子をかぶり、股引をはいたまま、あわや湯槽へ入ろうとして評判になったし、裸で涼んでいてフイと用事を思い出し、その上へ羽織を引っかけてすまして電車へ乗って笑われたなんてこともありましたっけ。葉書を出しに行く途で鮭の切身をひと切れ買って、まちがえてその鮭のほうを郵便函へほうり込んでしまったこともありました。こいつはあとで郵便屋さんが葉書を集めにきて、さぞや肝を潰したことでしょう。どこの世界にあなた、郵便函から鮭の切身が出るなんてべら棒があるもんですかね。つまり、そんな人一倍のそそっかし屋だから、人生の戦い、芸の修業にも、はじめにあわてて喜んでしまい、とんだ失敗をやらかしたようなことになってしまったのかもしれませんや。
いったい、私の家はこれでも士族のなれの果てでしてね、ですから小さい時分には野本鴻斎という漢学の先生についてずいぶんいろいろの勉強をしたもんです。ところがその勉強の度が過ぎて、身体を壊した。お医者の言うには、なにかこのさい気の晴れるように音曲でもやってみて、気保養をするがいい、そこで常磐津の稽古をはじめだしたのですが、これがその自分でいうと変ですが、なまじ器用な声がでたりなにかするところから、ついすすめられて二十の年には今の林中の門人となって家寿太夫の名をもらうようなことになってしまった。そうして緞帳芝居を三軒くらい掛け持ちをすると、ずいぶん、楽にお金がとれた。つまりこの、ちょいと常磐津をやったら、すぐ太夫になれた、またちょいと鍛帳芝居へ出たらすぐにお金がとれた。これがごくごくいけなかったので、そこへもってきていたってまた人間がそそっかしいときているから、ただもう安直に世のなかをうれしがってしまったんでしょう。同じ常磐津の太夫になったとしても、檜舞台へでもつかってもらって初めからウンウン苦しめば、なかなか世のなかを甘くなんか見なかったんですが――。
そのうえ信州の旅へ出て、上田で岸沢小まつという女の師匠で荒物屋を営んでいる人のところへ厄介になっていると、その土地に昔の名人で土橋亭りう馬という人の弟で今は料理屋の旦那の志ん馬、この志ん馬と小まつさんとが二枚看板で上田の芝居小屋を開けたのですが、あまりの大入りで二日目に志ん馬、咽喉を痛めてしゃべれなくなってしまった。そこで私が一段、助ることになったのだが、なにしろ小まつさんが常磐津でまた私が常磐津。そうそう常磐津ばかり語ってはいられない。そこで私が大胆千万にも聞き覚えの「藪医者」という落語を一席演った。するとこいつ…