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懐疑思潮に付て
かいぎしちょうについて
作品ID47845
著者朝永 三十郎
文字遣い旧字旧仮名
底本 「明治文學全集 80 明治哲學思想集」 筑摩書房
1974(昭和49)年6月15日
初出「教育學術界 第一七卷三號」1908(明治41)年6月
入力者岩澤秀紀
校正者川山隆
公開 / 更新2008-07-13 / 2014-09-21
長さの目安約 24 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

「懷疑思潮に付て」といふ題で御話を致します。前の文學會の席上で厨川文學士の自然主義に付ての御講演がありました。私の講演も矢張り自然主義に關係して居るのである。併し私は文藝には言はゞ門外漢であります。我邦の自然主義の作物などをチヨイ/\見て、文藝の觀賞者として之に對する漠然たる感想とでも云ふべき者はありますけれども、之と密接の關係を有つて居ると稱せられて居る西洋の作物や又は西洋の文藝の歴史といふ樣なものには非常に暗い。で、こんな公會の席上で文藝の上よりして組織的に自然主義を論評するといふ資格を缺いて居るのであります。其故に、只今は此自然主義の重な動機の一となつて居ると思はるゝ而して一部の自然主義者も亦た自らさう公言して居る懷疑思潮に付て一言したいと思ふ。
 自然主義は「新小説」の後藤宙外氏なども言て居る通りに、「三四以上の思想を抱く者が自然主義なる一本の傘に雨宿り」して居るので、所謂自然主義者の作物や論議やを取り一々分析して見たならば、藝術觀上又は人生觀上非常に異つた、或は氷炭相容れざる思想があるに相異ない。であるから、自然主義の評論を試みるに當ては先づ其中の色別をするといふのが第一歩であるとも言へる。併し此相傘主義は單に自然主義のみでは無い、殆んど凡ての主義がさうである。殊に未だ充分に議論の精錬を經て居らない新生の主義には其傾向が多い。現に自然主義と類縁を有すると思惟せられて居る「プラグマティズム」などが其適例である。先頃の「哲學、心理學、科學的方法雜誌」(Journal of Philosophy, Psychology, and Scientific Method)などには種々の「プラグマティスト」の論議を分析して「プラグマティズム」に十三種の別があると説いた論文などが出て居る。自然主義も矢張り新生の主義である。未だ充分に論議の精錬を經て居ない。隨て、等しく自然主義を標榜して居る人々の間に種々の矛盾もあらうし、又た同一の人の論議中にも兩立し難い色々の思想が混在して居るであらう。併し、其處に未だ之から色々に發展して行くべき餘地があるので、其處に生命があると思ふ。併し又た他方より考へて見ると、是れ丈け多樣の思想が同一の旗幟の下に集まるといふにも亦た何等かの因縁があらう。其多數の思想の中には漠然ながらも同一の傾向がありはしないか。よし一々の人の論議を取て綿密に分析したならば此共通傾向に矛盾する樣なことがあるとするも、其れは其人に此傾向と並行して他の傾向も亦たあるといふことを示すのみで、其人が自然主義の中に籍を置くといふ理由は矢張り此共通傾向をば他の傾向に比較して多量に分有して居るといふ點にあると思ふ。此共通傾向を取て批評するといふのも亦た批評の一方であると思ふ。
 一般に、仝一名稱を標榜して居る多數の思想は、顯正の方面に於ては一致が困難であつても、破邪の方面に…

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