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平和への意志
へいわへのいし |
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作品ID | 4786 |
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著者 | 原 民喜 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「日本の原爆文学1 原民喜」 ほるぷ出版 1983(昭和58)年8月1日 |
入力者 | ジェラスガイ |
校正者 | 大野晋 |
公開 / 更新 | 2002-09-29 / 2014-09-17 |
長さの目安 | 約 3 ページ(500字/頁で計算) |
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二つの特輯が私の心を惹いた。知識人戦線(個性七月号)と平和の擁護(近代文学八月号)と、これは近頃、最も意義ある特輯だつたが、かうした特輯は今後も絶えず繰返して為されなければならないし、何度繰返しても多すぎるといふことはあるまい。極言すれば戦災死をまぬがれたわれわれにとつて、これこそは最大の、そして最後の課題なのだ。
一九四五年八月六日、言語に絶する広島の惨劇を体験して来た私にとつて、八月六日といふ日がめぐり来ることは新たな戦慄とともにいつも烈しい疼きを呼ぶ。三度目の夏に、私は次の如くノートに書き誌しておいた。
三度目の夏に
お前が原子爆弾の一撃より身もて避れ、全身くづれかかるもののなかに起ちあがらうとしたとき、あたり一めん人間の死の渦の叫びとなつたとき、そして、それからもうちつづく飢餓に抗してなほも生きのびようとしたとき、何故にそれは生きのびようとしなければならなかつたのか、何がお前に生きのびよと命じてゐたのか――答へよ、答へよ、その意味を語れ!
原子爆弾の惨禍も、それが日本降伏までの時期のものならば、まだわれわれにとつて、描くことも描かれたことについての理解も可能であらう。だが、もしも原子力兵器が今後地球で使用されるとするならば、恐らく人類は完全に絶滅し、陰々として草木が密生する地上を爬虫類のみが徒らに跳梁する光景が残されるばかりではあるまいか。
一人の人間が戦争を欲したり肯定する心の根底には、他の百万人が惨死しても己れの生命だけは助かるといふ漠たる気分が支配してゐるのだらう。無論、過去の戦争においては、さうした事もあり得た。だが、戦争は今後、あらゆる国家あらゆる人間の一人一人を平等に死滅に導くといふことを特に銘記すべきだ。
「人々の心の中でのみ戦争は防止できぬが、人々の心の中で戦争を承認するときは、遂に人類は自滅せざるをえない段階に立ちいたることを、われわれは心に焼きつけようではないか!」(平田次三郎)結局「戦争を防ぐのは我々であり、我々の一人一人である。」(杉捷夫)
平和の擁護、平和への協力は、絶えざる忍耐と緊張を一人一人に要請するであらう。今日己れと己れの周囲を少し静かに顧みれば、戦争のために存在した嘗ての環境が、いかに人間全体の心理を病的に歪曲したか、現に今も傷害してゐるかは、あまりにも明かなことがらである。この地獄と抵抗して生きるには無限の愛と忍耐を要する。