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水族館
すいぞくかん
作品ID47861
著者堀 辰雄
文字遣い旧字旧仮名
底本 「堀辰雄作品集第一卷」 筑摩書房
1982(昭和57)年5月28日
初出「モダン TOKIO 圓舞曲」世界大都會尖端ジャズ文學1、春陽堂、1930(昭和5)年5月8日
入力者tatsuki
校正者大沢たかお
公開 / 更新2012-09-27 / 2014-09-16
長さの目安約 25 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 私は諸君に、このなんとも説明のしやうのない淺草公園の魅力を、出來るだけ完全に理解させるためには、私の知つてゐるかぎりの淺草についての千個の事實を以てするより、私の空想の中に生れた一個の異常な物語を以てした方が、一そう便利であると信ずる。ところで、さういふ物語をするためには私に二つの方法が可能だ。それはその物語を展開させるために必要な一切の背景を――たとへば劇場とか、酒場とか、宿屋などを全く私の空想の偶然に一任してしまふか、或ひはまた、さういふ背景だけは實在のものを借りてくるかである。そして私にとつては、むしろ後者の方が便利のやうに思へる。何故なら、私は經驗から、空想といふものは或る程度まで制御されればされるほど強烈になつて行くといふことを、知つてゐるからである。
 さて、私がこの物語を、最近の流行に從つて、近頃六區の人氣の中心となりつつある、カジノ・フオリーの踊り子たちのところに持つて行くのを、許していただきたい。事實は、私は彼女たちについて何も知らないのだ。そして私がこの物語を物語らしくするために、敢へてそれの無作法になるのも顧みないであらう、彼女たちに關する私の空想は、當の彼女たちをして怒らせるどころか、無邪氣な彼女たちをしてただ笑はさせるに過ぎないだらう。私はそれを信じるのである。
 諸君の大部分はすでに御承知だらうが、そのカジノ・フオリーといふのは、六區の活動寫眞街からやや離れたところに、いつも悲しいやうな愉快なやうな樂隊の音を立ててゐる木馬館と竝んで立つてゐる、水族館の階上にあるのである。水族館といつても、それはほんの名ばかりで、或ひは私が夜間しかそこに這入らないせゐか、ほとんど水槽のなかに魚の泳いでゐるのをば、私は見たことがないのである。しかしよく見てゐると、十分に光線の行きとどいてゐない岩のかげに、眠つてゐるのであらうか、その岩と同じやうな色をした身體をぴつたりくつつけてゐる、いくつかの魚等を見つけることが出來た。そしてそのそれぞれには一々むづかしい名前がつけられてゐるが、私はそれを一つも覺えてゐない。二階のカジノ・フオリーに出這入りするために、この水族館のなかを通り拔ける人々は多かつたが、わざわざここに立ち止つて魚等を見て行かうとする人は、ほとんど無かつたと言つていい。
 埃つぽい木の階段を、下駄の音を氣にしながら上つて行くと、いきなり、人々の頭ごしに(彼等はうしろの方の椅子がたくさん空いてゐるのに、それに腰かけずに、立つたまま、舞臺を見てゐるのである)、音樂が聞え、踊り子たちの踊つてゐるのが見えるのだ。初めてそこに這入つた人は、よくそのうしろの方の空席に腰を下さうとしたが、すぐその椅子がぐらぐらしてゐて危險だつたり、或ひはその覆ひに大きな孔があいてゐて、そこから藁屑がはみ出してゐて、それがすぐ着物にくつつくのに氣がついて、再びそこか…

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