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羽ばたき
はばたき |
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作品ID | 47864 |
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副題 | Ein Marchen アイン メルヒェン |
著者 | 堀 辰雄 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「堀辰雄作品集第一卷」 筑摩書房 1982(昭和57)年5月28日 |
初出 | 「週刊朝日 第十九巻第二十八号」1931(昭和6)年6月21日号 |
入力者 | tatsuki |
校正者 | 大沢たかお |
公開 / 更新 | 2012-10-12 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 18 ページ(500字/頁で計算) |
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[#挿絵]
丘の上のU塔には、千羽の鳩が棲んでゐた。それらの鳩がいちどきに飛翔すると、空は眞暗になつた。そしてしばらくそれらの羽音がU塔を神々しく支配した。それらの羽ばたきは何となく天使の羽ばたきを思はせた。
傳説によると、U塔のある丘は昔の仕置場の跡ださうだ。そしてこの塔の中には囚人が幽閉されてゐたといふことである。だが今では誰も知らないのだ、そのためにこんな淋しい場所になつてゐるのか、それともこんなに淋しいのでそんな傳説が生れたかを。このU塔に近づくものといへば、さういふ鳩と遊びにくる子供たちだけだつた。そのほか、ときどき浮浪者がやつて來て、塔のまはりで眠るやうなことがあつた。すると眞夜なかに、異樣な羽ばたきが彼等の夢を打つた……
U塔のある丘つづきに、フエアリイ・ランドと呼ばれる丘があつた。
その丘は、前者が死を象徴してゐるのに對して、生を象徴してゐるやうに見えた。その丘に近づくと、いつも噴火山のやうな音響が聞えた。それは丘の上にある大きなロオラア・スケエト場のためだつた。そこには、それのほかに、木馬館があり、サアカス小屋があり、活動小屋があり、射的場があり、酒場があつた。だが、この物語の起つたころには、ロオラア・スケエテイングがあらゆる流行の上にあつた。そしてただ、一九一二年に一軒の活動小屋から起つた「ジゴマ」の流行だけが僅かにそれと匹敵できた。
惡漢ジゴマにはことに子供たちが心を奪はれた。何週間となく續映された「ジゴマ」が遂に上映されなくなつてしまつてからは、ジゴマごつこといふ遊戲が子供たちの間に流行しだしたくらゐに。――
ジゴマは子供たちにとつて一種の偶像だつた。だから彼等の餓鬼大將でなければ、ジゴマの役にはなれなかつた。彼の氣に入りの二三のものがその乾分に[#挿絵]り、そして他のものはそれぞれが小ニツク・カアタアになつた。
子供たちは一人きりでは決して夢を見ないものだ。彼等はいつも一塊りになつて、共通な一つの夢を見ようとする。ジゴマごつこの遊戲は、最もさういふ夢の組織に適した。
U塔の附近に遊びにくる子供たちの間では、ジジと呼ばれる少年が、いつもジゴマの役になつてゐた。
ジジは普通の餓鬼大將とちがつて、ただ誰よりも腕力が強いだけではなく、それと同じくらゐに誰よりも美しかつた。その慓悍な眼ざしと、その貝殼の脣とが、他の仲間たちの上に異常な魅力をもつてゐるのだ。ジジは彼の貧乏なことをも彼の魅力の一つにしてゐるやうな少年だ。
或る日、U塔を包んでゐる死が蘇つたやうだつた。鳩たちは羽ばたきながら逃げまはつた。その時ぐらゐジゴマごつこが猛烈に行はれたことはなかつたらう。ジゴマのジジをキキといふ少年が追ひかけてゐた。キキは身體の小さなくせに、頭の大きい少年だ。そのとき、突然ジジが石につまづいて、はげしく倒れた。そして死人の眞似をした。…