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雨後
うご
作品ID47867
著者堀 辰雄
文字遣い旧字旧仮名
底本 「堀辰雄作品集第四卷」 筑摩書房
1982(昭和57)年8月30日
初出「東京朝日新聞」1938(昭和13)年7月7日、9日
入力者tatsuki
校正者染川隆俊
公開 / 更新2011-04-05 / 2014-09-16
長さの目安約 2 ページ(500字/頁で計算)

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本文より


六月二十日
 これでもう山小屋に雨に降りこめられてゐること一週間。――「雨の輕井澤もまたいいです」などと友達に手紙を書いてゐた女房も、きのふあたりから少し氣が變になつてゐはしないかと思ふ位。
 ――何しろ、樅の木なんぞの多い山のなかの一軒家だものだから、雨の音が騷がしいほど大きく、それがまた絶えずさまざまな物音に變化して聞える。
 子供の頃聞き慣れた支那語の唄がとぎれとぎれになつて聞えてくるなどと女房が不意に言ひ出したりするので、けふなんぞは、私までも一日中なんだか家の外ばかり氣にして見てゐて、仕事に手がつかない位。
 かうして二人つきりでゐると、相手の神經衰弱などすぐうつると見える。――いまも、黄色の小さなゴム毬のやうなものが草の中をぴよんぴよん跳ねてゐるのに、をかしい程びつくりして見たら、それはこんな林の奧まで水溜りを傳つてきたらしい二羽の黄鶺鴒。……

六月二十四日
 やつと雨があがつた。ひさしぶりに二人で散歩に出る。途中で、鶴屋の主人に逢つて立話。――「今年はどうも葉ばかり多くて、花が少い」と氣の毒がるやうに云ふ。それでも少しは花もあらうかと村を一巡して見た。
 なるほど、今年は無殘、グリイン・ゲエブルスといふ、緑の切妻のある、イギリスの老婦人の住んでゐる小さな家の裏に吹いてゐた萼の花と、チェッコ公使の別莊の廣々とした芝生だけが鮮やか。……
 それからまだ躑躅の花の乏しく咲き殘つた原へ出たら急に霧がまいてきて、目の前を何羽か啼いてよぎつた尾長の姿さへ見えなかつた位。やつと其處を突きぬけて、ふと振り返ると、まだ、その原は霧の中。
 合同教會の裏の、或外人の別莊の前に、野薔薇の木がめづらしく五六輪の花をつけてゐたので、何氣なく近よつて見ると、その茂みの中に一羽の小鳥が不安さうにあちこちと枝移りしてゐる。をかしいと思つたら、小さな鳥の巣があつた。
 秦皮のステッキで其枝を掻きよせて巣の中を覗いたら、まだ羽も生えてない、目ばかり大きな、茶色の雛が四五羽、無氣味にうじようじよしてゐた。親鳥はもう逃げた跡。



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