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巣立ち
すだち
作品ID47871
著者堀 辰雄
文字遣い旧字旧仮名
底本 「堀辰雄作品集第二巻」 筑摩書房
1982(昭和57)年6月30日
初出「新女苑 第三巻第一号」1939(昭和14)年1月号
入力者tatsuki
校正者杉浦鳥見
公開 / 更新2019-12-28 / 2019-11-24
長さの目安約 21 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 彼女は窓をあけた、さうすると、まるでさういふ彼女を待つてゐたかのやうに、小屋のすぐ傍らの大きな樅の木から、アカハラが一羽、うれしさうに啼きながら飛び下りてきて、その窓の下で餌をあさり出した。けさもまた霧雨がふつてゐるのである。もう七月だといふのに、さうやつて窓をあけてゐると、寒いくらゐだ……
 はじめのうちはよく彼女は、その小鳥に何かやらうと思つて、いそいで食物の殘りをもつてきてやつたが、それを投げると、小鳥はびつくりして逃げてしまつて、二度と近づかないのである。それでこの頃はもう、彼女は窓のところに手をかけたきり、草の中に赤い胸をかくすやうにして、何をあさつてゐるのか、小鳥があちこち走りまはつてゐるままにさせて置くのである……
 突然、その小鳥が何かにびつくりしたやうに、飛び去つた。氣がついてみると、彼女の背後に、いつのまにか彼が寢間着のまま突立つてゐるのだつた。
「なあんだ、おれが來ると、すぐいつてしまやあがる」彼はさう不平さうに言ひながら、輕い咳を二つ三つした。
「あなたは亂暴だから……」彼女はいそいで窓を閉めながら、しかしいたはるやうに彼に言ふのだつた。
 かうしてすこし病身な彼を相手の、さうして彼の好きな森のなかでの――しかし彼女にとつては最初は淋しくないこともなかつた孤獨な生活にも、だいぶ馴れてきたこの頃である。さうしてその毎朝毎朝は、いつも大抵このやうにして始まるのである……

          [#挿絵]

 この山奧の村――去年彼と彼女とが其處ではじめて知り合つた――に二人が結婚して、一しよに暮らしにきたのは、もう一月ばかり前になる、六月のはじめだつた。丁度、アカシヤが花ざかりだつた。それから道ばたの藪は野茨の白い小さな花を簇がらせてゐた。數日、彼等はまだ誰あれも來てゐないその村ぢうを、二人で住むのにいいやうな小さな家を搜して歩いた。ちよつと好ささうなコッテエヂは、その持主を尋ねて見ると、みんな他人の別莊だつたりした。しまひにはがつかりして、もうその持主を訊かうともしないで、二人は住み心地のよささうなコッテエヂがあると、その前にいつまでも立ち止まつたまま、そこに自分たちが住まへたらどんなに樂しげに、幸福さうに見えるだらうと、そんな彼等自身の日常的な姿を空想したりしてゐた。自分たちのものにはなりさうもない幸福そのもののやうな、他人のコッテエヂを前にしての、そんな空想はしかし二人を愉しませた。さうやつて毎日搜してゐてもなかなか氣に入つた家の見つからないことが、そんな道草を食ふ愉しみのために、それほど苦にもならなかつた位。……
 數日後、彼と彼女とがそんな家搜しからまたしても空しく歸る途すがら、集會堂の裏に拔ける林道をまはつてくると、いままで兩側から灌木に挾まれながらSの字を描いてゐたその細い道が一軒のコッテエヂの前にひらけ、丁度その前でぐつ…

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